経験と勘の漁業からデータ活用へ 水産業DXが挑む担い手不足と地域再生

2026年07月10日 07:16

漁業 (1)

漁業現場では、長年培われた経験や地域の知識にデータ活用を組み合わせ、生産性向上や技術継承につなげる取り組みが進んでいる(画像はイメージ)

今回のニュースのポイント

水産庁は、地域の漁業関係者や企業、自治体などが連携してデジタル技術を活用する「デジタル水産業戦略拠点」の追加募集を開始しました。漁獲情報の管理、生産効率化、加工・流通、消費まで地域全体でデータ活用を進める取り組みです。担い手不足や高齢化が進む水産業では、長年培われた経験を生かしながら、新しい技術で生産性向上や地域維持につなげることが求められています。

本文
 デジタル技術を用いた業務効率化や構造転換の波は、製造業や物流、医療、行政といった分野に留まらず、一次産業の現場へも確実に拡大しています。水産庁は、地域が一体となって水産業のデジタル化を推進するモデル事例を創出するため、「デジタル水産業戦略拠点」の事業構想について追加募集を開始しました。これは単に特定の技術を個別に導入する実証実験ではなく、地域単位で水産業全体のデジタルトランスフォーメーション(DX)を進めるための基盤づくりを目指す取り組みです。

 この施策の背景には、国内の水産業が直面している構造的課題があります。現代の地方水産業では、漁業従事者の減少、高齢化に伴う労働力不足、さらに長年地域を支えてきた熟練の技術継承が困難になるといった、産業そのものの存続に関わる危機に直面しています。これまで現場の生産性を支えてきたのは、熟練の漁業者が長年の経験で培った「勘」や、地域の海を知り尽くした知識でした。しかし、担い手不足が進む人口減少時代において、その貴重な知識やノウハウを個人の経験だけに頼るのではなく、次世代へ確実につなぐための客観的な仕組みが必要とされています。

 ここで誤解されやすいのが、デジタル化の本質が「人間の仕事を機械に置き換えること」にあるという見方です。AIやデータ活用が進むからといって、漁業の現場から人間が不要になるわけではありません。むしろ水産業DXの本質は、ベテラン漁業者が持つ長年の経験知に、人工衛星からの海洋データやスマート水産技術による漁獲・水温情報を組み合わせることにあります。自然という予測の難しい環境を相手にするからこそ、データの裏付けによって人の知識を補強し、省力化を達成しながら、培われた知見の価値をさらに広げて残していくことが重要な目的となります。

 さらに、今回の戦略拠点構想が示す最大の特徴は、デジタル化の対象が漁船の上だけに留まらないという点にあります。これまでは資源管理、漁業生産、加工・流通、消費といったそれぞれの工程でバラバラに実施されがちだったデータ活用を、水揚げから出荷、店舗での販売、最終的な消費にいたるまで一連の流れとして面的につなぐアプローチをとっています。生産効率の向上だけでなく、画像センシング技術を用いた自動選別やAIによる品質判定データを流通・消費側へシームレスに共有することで、地域全体の産業サプライチェーンを効率化し、食品ロスの削減や高付加価値化を目指す狙いがあります。

 こうした包括的な変革を実現するため、事業の選定条件には「地域コンソーシアム方式」による運営体制が求められています。これは単独の民間企業や特定の漁協だけで取り組むのではなく、地方自治体などの行政機関、漁業協同組合、地元の民間企業をはじめとする地域の幅広い関係者が任意団体や法人を形成して一体となる仕組みです。個々の組織の枠組みを超え、地域産業全体としてデジタル化の恩恵を共有し、持続可能な地域社会の維持に資する合意形成を行うことが求められています。

 ただし、こうした地方産業におけるデジタル技術の普及には、クリアすべき実務的な課題も多く残されています。初期の導入コストや通信環境の整備はもちろん、現場の従事者が新しいシステムや操作に慣れるためのサポート体制、さらにはそれらを主導できるデジタル人材の不足が懸念されています。実際、今回の水産庁の選定要件をみても、「デジタル人材を確保・育成する体制」や「デジタル化を支援する体制」が地域内に確保されているか、あるいは今後の見込みが立っているかという点が、重要な審査基準の一つとして明記されています。

 水産業におけるデジタル化の試みは、長年培われた漁業者の経験や地域の知識を否定するものではありません。むしろ、人手不足が進む現代において、その価値を次世代へ引き継ぐための手段とも言えます。日本国内では今後、農業や伝統的な製造現場、職人技術を要する多くの産業で同様の人材不足が加速していきます。その中で問われるのは、人を技術で置き換えることではなく、少ない人数でも地域産業を存続させられる強靭な仕組みづくりです。海という自然を相手にする産業だからこそ、人の確かな判断力とデータ技術をどう組み合わせるかが、これからの地域水産業の未来を左右しそうです。(編集担当:エコノミックニュース編集部/Editorial Desk: Economic News Japan)