田中大臣 追放の損失は在任の不利益より大

2012年11月08日 11:00

 自民党の石破茂幹事長は田中眞紀子文部科学大臣が25年度の設置認可を申請している3大学について、新しい設置基準を設け、その基準の下で、認可するか、どうか判断するとしていた方針を7日の衆議院文部科学委員会で一転させ「本委員会の審議、諸般の事情もかんがみ、現行制度のもとで判断する」と方針転換したことについて、同日「諸般の事情とはどういうことか。委員会閉会後に報道陣に認可するとしたが、新しいやり方で(判断する)と昨日言ったにもかかわらず、なぜ、それを撤回するのか」など、急転直下の方針転換に疑問を投げた。

 そのうえで「行政府の長とは何なのか。自覚もなければ、責任も果たしていない。手続きを理解せず、説明責任も果たさず、省内における掌握もできていない」とし「(そういう人が)大臣を続けるということはあってはならない。(そういう人を)大臣に任命した総理の責任も当然、厳しく問われることになる。認可したから、それでいいでしょ、ということには絶対にならない」と田中文部科学大臣や野田総理の責任を今後、追及していく考えを示した。

 ただ、大学設置審議会の答申を覆し、7日の衆議院文部科学委員会での答弁で当初の発言から乖離した結論にたどりつくなど、大臣の思いが先行して、客観的に制度、手続きを理解していないのではとの問題はあるものの、大学の新設申請から新設認可までの過程での準備のあり方(半ば認可を当然視するような校舎建設、生徒募集、教員の確保など、認可されなかった場合のリスクを度返しした既成事実化とも思える工程)には、認可制度のあり方そのものに問題があることは否めない。

 田中大臣が「制服買いました。入学準備できてます。だから入学させてくださいということはないでしょ」と指摘するように「入学許可があって、はじめて制服を買い、教科書を買うものだ」。

 同様に大学設置が認可されて、初めて校舎を建設し、教員を確保し、1年、2年後に開学できるようになることが自然体ではないのか、との見方もある。

 今回の田中大臣の問題提起は大学新設の認可問題にはじまり、量より質が最も大学教育政策に求められているという大臣の認識を浮き彫りにしており、田中大臣の誕生がなければ、3大学にも設置認可が当然のようになされ、大学教育の問題点を社会に訴求することはできなかったといえよう。

 田中大臣が取り組もうとしている大学教育のあり方や設置審議会のありようの見直しには賛同者も多い。こうした中で田中大臣を大臣席から追放する損失は、在任し続ける不利益より大きいことを自民党も一考する余地がありそうだ。

 野田内閣がどこまで持続する内閣かは別として、田中大臣の文部科学行政の舵取りを少し見ていくことも必要ではないか。(編集担当:森高龍二)