さきの総選挙では「経済再生、雇用創出」を強く全面に打ち出し、アベノミクスの継続か変更かを最大争点に勝利したのだが、「安保法制の見直し」についても、多くの国民の信任を得て、多くの議席を得たというすり替えを行っている
平成初期に自民党幹事長も務めた生活の党の小沢一郎代表が、自民党の憲法改正草案を「大日本帝国憲法より復古的」と右傾化する自民体質を浮き彫りにする発信をした。
注目したいのは、小沢代表が自民党の憲法改正草案の中身が『国家のための国民』の視点でつくられていると指摘していること。本来、国家は国民のために存在する。国家のために国民が存在するのであれば、民主主義国家ではあり得ない。
安倍晋三総理は愛国心と天皇崇敬を重んじる思想の持主で、国歌・国旗の浸透と愛国心の醸成に道徳教育の特別教科化を図るなどの取り組みにも、その一端がうかがえるが、有事には「公共の福祉」の名の下、個人の権利や自由といった基本的人権をどこまで保障し続けるか、私個人は疑問を感じている。
疑問の最たるものが、徴兵制に関する発言だ。安倍総理は有事になったとしても、現行憲法下では『徴兵制は苦役にあたるため、徴兵制をとることはない』し『とれない』と国会答弁している。
しかし、同じ自民党の石破茂地方創生担当大臣は「徴兵制が苦役というのは違和感を持つ」と提起している。ヒゲの隊長で知られ、防衛大臣政務官を務めた佐藤正久参議院議員は「人権で一番大事な生存権を守るために必要な個人の権利義務を規制する緊急政令が出されないことがあっていいのだろうか」と別件で発信している。「緊急時における個人の自由・権利制限は憲法に明記すべき」と。逆に、制限できる個人の自由や権利の範囲を明確にしておくという点では一考に値するのかもしれない。
佐藤議員は「緊急事態は外国からの武力攻撃や国内治安の乱れ、国際テロ、感染症等自然災害だけではなく、特性が各種事案ごとに異なり、個別法だけで対応するのは困難だ」と緊急事態において、基本的人権とどう向き合うかをうかがわせている。是非はともかく、問題提起としてはこちらの方が理解しやすい。
佐藤議員はブログで「自然災害対処だけの緊急事態条項を憲法で規定するとしたら、それこそ極めて近視眼的で視野が狭く、緊急時に国民の命と暮らし守ることにも繋がらない可能性も出てくる。国民の命を守るのが政治であり、現憲法もそれを否定していない」とする。議員は徴兵制にこそ触れていないが、緊急事態のその延長線上には、徴兵制を取らざるをえない有事には現行憲法下でも、これが肯定されるような解釈が成り立つのではないかとうかがえるような考えを示している。
安倍総理がいくら徴兵制はとらないし、とれないと国会答弁しても信用できないのは、すでに憲法9条を骨抜きにする集団的自衛権の行使に対し歴代政府の憲法解釈を変更し、行使容認の閣議決定を行ったことやこれに基づく日米ガイドラインの合意、国会審議を経ずに安保法制見直しを確定する発言(戦後の大改革をこの夏までに成就させるなど)を米議会上下両院合同会議で行ったことなど、その言動にある。
さきの総選挙では「経済再生、雇用創出」を強く全面に打ち出し、アベノミクスの継続か変更かを最大争点に勝利したのだが、「安保法制の見直し」についても、多くの国民の信任を得て、多くの議席を得たというすり替えを行っている。わたしは街頭演説を直接聞いているが、安保法制見直しにはほとんど触れていない。演説の8割以上が経済、雇用、アベノミクスの果実を全国津々浦々にとの訴えに終始していた。安保法制を争点にした選挙が改めてあってもいい重要案件だ。
ともあれ、有事において「我が国を取り巻く安全保障環境が大きく変化した」ことを理由に、憲法改正を経ずに「憲法解釈の変更」(閣議決定)を行い「兵役は憲法に言う『苦役』に当たらない」とさえすれば、導入可能な話ではないのか。自民党が現行憲法下で「徴兵禁止法」を制定するか、憲法改正草案に「いかなる事態においても兵役の義務はこれを禁ず。兵は志願制によらなければならない」などの条項でも加えれば、安倍総理の発言を信じてもよいのかなと思う。憲法改正へ環境づくりをいうなら、安倍総理の発言に対する国民の信用構築への環境づくりこそ、積み重ねて頂きたいと願う。(編集担当:森高龍二)