世界トップシェアを誇るヤマハ発の船外機を支えてきた精神とは

2011年11月21日 11:00

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ヤマハ発動機の海外市場開拓事業部で、現在、世界トップシェアを誇る船外機事業の黎明期からサービスマンとして先頭に立ってきた綱本貫一さん。定年を迎え嘱託社員となった現在も、年に何度も海外出張を繰り返し、現場との関わりを持ち続けている。

 1960年に船外機を発売して以来、先進国はもちろん、新興国でも積極的な事業展開を行ってきたヤマハ発動機。他の船外機メーカーがまだ進出しないような地域であるアフリカ、中東、カリブなどの国々ともダイレクトに取引を行うなど、文字通り手探りで市場開拓を行ってきた。今や世界トップシェアを誇る同社の船外機だが、その背景には後発メーカーとして事業参入して以来、市場の声に耳を傾け、絶えず製品の改良を続けてきた歴史があった。

 同社ではその部門を海外市場開拓事業部(以下:OMDO)といい、現在はオートバイや船外機はもちろん、発電機やポンプまで、ヤマハ製品のほとんどを取り扱う商社のような部門だが、その前身は船外機の営業・サービス部門だったという。

 OMDOで船外機事業の黎明期からサービスマンとしてその先頭に立ってきたひとり綱本貫一さんは、定年を迎え嘱託社員となった現在も、年に何度も海外出張を繰り返し、現場との関わりを持ち続けている。「4か月で500台、2000キロ、この数字の意味がわかりますか」と綱本さん。これは、メキシコで粗悪燃料による製品の不具合が発生した1970年代、現地で改修した船外機とそのために要した移動距離。「漁師は魚がいると聞いたら移動してしまう。販売店が誰に売ったかまでは分かるのですが、その先の追跡に苦労しました。ジャングルの中、道なき道を2000キロ、まさに1台1台追いかけました。とにかく、市場をつなげなければいけない。売ったら売りっぱなしで、信用をなくしたまま市場を失うなんてとてもできなかった」と振り返る。

 その後もインドでは宗教観に起因する軋轢、スリランカでも悪質な燃料に悩まされ、その都度、市場にフィットするよう、船外機に改良を加えてきた。「お客さんに怒られるのも大事な仕事。自ら現場に行き、お客さんと痛みや辛さを共有したことが、より良い製品を作りたいという気持ちの推進力になりました。だからサービスマンは製品を直すだけでなく、営業しながらお客さんとコミュニケーションを取り、ある時は遊びを通して使用実態を知り、次の製品の開発に活かすアイデアを出す。そこまでが仕事だと思うのです」と語る。

 現在、同社の船外機は200を超える国と地域に広がり、そのうち140以上の市場をOMDOが担当している。30年以上の間、世界の市場から市場へと渡り歩いた綱本さんをはじめ、同社の世界に誇れる船外機には「自分で限界を作らない精神」を持つ、信念ある社員の思いが込められている。