今回のニュースのポイント
厚生労働省が公表した令和7年度の労災補償状況では、精神障害による労災請求件数が4,958件と過去最多を更新しました。一方、支給決定件数は1,082件と微増にとどまり、請求件数の増加ほど大きくは伸びていないのが特徴です。資料を詳しく見ると、精神障害は若年層だけの問題ではなく、30〜50代の働き盛り世代で請求・支給決定件数が多いほか、医療・福祉を筆頭に、製造業や卸売・小売業など幅広い業種で請求がみられます。職種別では専門職、事務職、サービス職が上位です。日本の労働環境は、身体的な過重労働への対策に加え、心理的負荷への対応がより重要になっているようです。
■精神障害の労災請求は過去最多 しかし「急増」とは単純に言えない
厚生労働省が公表した最新の統計によると、令和7年度における精神障害の労災請求件数は前年度の3,780件から1,178件増加し、4,958件と過去最多を記録しました。1年間で31.2%増という大きな伸びを示した一方、労災として実際に認定された支給決定件数は前年度の1,056件から1,082件へ、約2.5%の微増にとどまっています。また、認定率(決定件数に占める支給決定件数の割合)は30.2%から28.2%へと低下しています。
なお、請求件数と支給決定件数は同一年度に請求された案件だけを対応させた数字ではなく、決定件数には前年度以前の請求分も含まれます。そのため、請求件数の大幅な増加だけをもって、労働現場における精神障害の発症自体が同じ割合で増えたとは断定できません。
請求件数の増加には、精神障害の発症状況だけでなく、制度の認知向上や相談・申請への抵抗感の変化が影響し、これまで表面化しにくかった業務上の心理的負荷が労災請求として現れやすくなった可能性もあります。ただし、今回の統計だけで、それぞれの寄与度を判断することはできません。
■若者だけではない 働き盛り世代へ集中する精神障害
労働者の精神不調をめぐっては、しばしば若年層における課題として限定的に語られがちです。しかし、実際の年齢別データを紐解くと、その姿は大きく異なります。
令和7年度の精神障害の請求件数を年代別に見ると、最も多いのは40代の1,344件で、次いで50代の1,207件、30代の1,122件と続きます。支給決定件数についても、40代が294件、50代が244件、30代が243件となっており、支給決定件数の約7割(72.2%)を30〜50代が占めています。
中堅から管理職、あるいは現場の中核を担うこの働き盛り世代においては、実務に加えて部下・上司・顧客との調整や責任が重なりやすい可能性があります。若年層だけの課題として片付けるのではなく、中堅層以上の現役世代全体における心理的負荷の構造を捉える必要があります。
■長時間労働だけではない 対人ストレスが職場を変えた
これまで過労問題では、長時間労働による身体的負荷が重要な論点とされてきました。しかし、昨今の精神障害の労災申請や認定においては、単なる労働時間という定量的データだけで測ることはできない要因が注目されています。
支給決定事案で心理的負荷として評価された具体的な出来事では、最も多いのが「上司等からのパワーハラスメント」の222件です。次いで、「顧客や取引先、施設利用者等からの著しい迷惑行為」が127件、「セクシュアルハラスメントを受けた」が127件となっており、パワハラや顧客対応などの対人ストレスに加え、「仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」も113件と上位を占め、組織上の大きな変化や負荷が目立つ状況が示されています。
時間外労働時間別の支給決定件数を見ると、1か月平均の時間外労働時間を算出した区分の中では、「20時間未満」が57件で最も多く、次いで「40時間以上60時間未満」が55件でした。一方で、出来事による心理的負荷が極度であると認められ、労働時間を調査するまでもなく認定された「その他」が699件にのぼっています。
時間外労働が月20時間未満の事案でも支給決定例があり、精神障害の認定は労働時間だけでは説明できないことが分かります。深刻なハラスメントや対人摩擦、あるいは急激な役割変更といった心理的負荷そのものが、労働者の心身に強い影響を及ぼしている様子がうかがえます。
■医療・福祉などで請求が多い 対人業務に重なる負荷
精神障害の労災がどの業種・職種で多く請求されているかを見ると、幅広い労働現場で、心理的負荷への対応が課題となっていることが分かります。
業種別(大分類)の請求件数を見ると、「医療、福祉」が1,288件と突出しており、以下「製造業」の720件、「卸売業、小売業」の645件と続きます。さらに細かく中分類のランキングを見ると、「社会保険・社会福祉・介護事業」が706件、「医療業」が578件と上位を占めています。また、職種別では「専門的・技術的職業従事者」が1,367件、「事務従事者」が1,137件、「サービス職業従事者」が733件で上位となっています。
医療・福祉の現場では、人手不足、夜勤、利用者や家族への対応など、複数の負荷が重なる可能性があります。ただし、今回の資料は就業者数当たりの発生率や個々の背景要因を示したものではなく、件数の多さだけで業種別リスクを比較することはできません。製造業や卸売・小売業といった幅広い業種でも多くの請求が発生しており、多様な職種で心理的負荷への対応が求められている現実があります。
■「我慢」から「SOS」へ 働き方改革は次の段階へ
職場でのメンタル不調は、本人だけの問題として抱え込まれる場合もあります。一方、ハラスメントへの相談体制や社内外の相談ルートが整備されるなか、心理的負荷を個人だけの問題とせず、相談や適切な制度利用につなげる重要性が高まっています。請求件数の増加を、相談しやすい職場文化が定着した結果と一概に断定することはできませんが、企業にはハラスメントや過度の業務負荷を組織全体のリスクとして捉える姿勢が求められています。
■次に求められるのは「壊れてから支援」ではない
今後の労働政策において問われるのは、深刻な精神不調に至ってから事後的に補償するだけの対応ではありません。一度深刻な不調に陥った従業員のダメージを最小限に抑え、持続可能なキャリアを維持するためには、事後的な救済だけでなく、予防的な観点がこれまで以上に重要になります。
精神障害の労災請求件数の増加は、働く人の心理的耐性が弱くなったことを示すものではありません。長時間労働という一元的な基準だけでは捉えにくい、ハラスメントや顧客対応、突発的な業務変更や過度な責任といった複数の心理的負荷が、精神障害の労災事案として表面化している可能性を示しています。
これからの企業や行政に求められる働き方改革は、単なる時間外労働の削減といった定量管理に留まらず、従業員が抱える心理的負荷を早期に把握し、相談対応や配置転換、実質的な職場環境改善へとつなげる「心を守る仕組みづくり」を一層重視する段階に来ています。
厚生労働省の最新の労災補償状況は、単純な労働時間だけでは捉えにくい心理的負荷が、精神障害の労災認定で重要な位置を占めていることを示しました。30〜50代の請求・支給決定件数が多く、業種別では医療・福祉の請求件数が最多となっています。一方で、脳・心臓疾患の請求件数も令和7年度に1,254件を数えるなど、従来の身体的負荷への目配りも依然として不可欠です。身体的な過重労働への対策を確実に継続しながら、心理的負荷をいち早くキャッチして予防する仕組みを社会全体でいかに構築していくかが、これからの働き方改革の最大のテーマとなりそうです。(編集担当:エコノミックニュース編集部/Editorial Desk: Economic News Japan)













