お盆や正月の田舎では、とにかく女性がよく働く。ふすまをぶちぬいた広い客間のテーブルには、上座に祖父、その隣に長男である父、小学生の息子が座る。祖母と嫁はいちばん下座だが、嫁は台所と客間を行ったり来たりして、あまり席につかない。
2012年の内閣府調査では、社会通念・慣習・しきたりなどにおいて「男性の方が優遇されている」とした人は70.4%にのぼる。一方「平等」と答えた人は21.4%、「女性の方が優遇」はわずか3.5%だった。上述の田舎のお正月はまさに、「男性の方が優遇されている」慣習の典型だろう。
建前としては、日本は男女平等を目指す国である。だが政府の本音はおそらく、「少子化・高齢化が内需に深刻な影響を及ぼす中、優秀な人材は男女関係なく働いてほしい」ということだろう。
そこで05年頃から注目されているのが「福井モデル」。福井県は出生率が05年に沖縄県についで全国2位となった一方、共働き率は全国1位。「日本一女性の労働力化が進む県」なのだ。福井県では製造業が盛んで、女性も立派な労働力とみなされている。そのうえ三世代同居の世帯が多く、孫の面倒は祖父母がみてくれる。さらに、3人目以降の子どもは妊婦健診費から3歳までの保育料や医療費が無料になるなど、子育て支援も充実している。
「親に子育てをサポートしてもらい、保育所も利用しつつ、男女ともに正社員で働く」。福井モデルの前提は、「母親が働くのは当たり前」という考え方だ。これは福井のほか富山、石川、新潟、鳥取など日本海側の、元農村地域でより深く浸透している。これらの地域は男性の収入だけでは食べていけない、というより女性の労働力がはじめから世帯収入として期待されている。
高度成長期、そんな農村の「古い価値観」を嫌った次男や三男は、都市部で核家族のサラリーマン世帯を作った。企業戦士の夫を支えるため、専業主婦の妻は郊外に買った家で家事と育児をこなす。これが戦後の新しい家族の形となった。
事実、東京や神奈川、兵庫、奈良などの大都市圏では元農村地域に比べ、働く既婚女性が少ない。それは地方と比べて比較的、夫の収入が高いからでもあるし、保育所が充実しておらず、実家も遠いので子どもを預けられないから働きに出ないためでもある。一般的に夫の育児参加があれば2人目の子どもは産まれやすいが、平均通勤時間が1時間を超える都市部のサラリーマンが、積極的に育児参加する余裕はあまりない。
大都市圏の主婦は、経済的な理由で働かざるをえない地方の女性とは違う価値観をもつ。自己実現のための仕事ならしたいと考えており、そうでなければ無理に働かないのではないだろうか。
ワーキングマザー推奨派は「これからは共働きの時代」と主張するが、女性誌を少し見てみれば分かる。生活のための共働きではなく、「理想の夫を手に入れ、自己実現している専業主婦」がもっとも理想とされている。
日本の少子化を何とかするためには、専業主婦がいちばん幸せだったあの時代の幻想を捨てるところから、始めなければならないのではないだろうか。