「体罰」からの脱却が真のスポーツ大国への近道

2013年02月12日 11:22

 桜宮高校の体罰によるバスケットボール部の自殺問題や、柔道女子ナショナルチームによる協会や監督に対する抗議など、今年に入ってスポーツ界に暗雲が立ち込めるようなネガティブな情報が毎日のようにニュースで流れている。

 ひと昔前までスポーツの世界は愛情ある鉄拳や厳しい言葉を浴びせることにより選手が奮起し成績が挙げることができるという風潮が当然のこととされ、暗黙の了解で制裁を加えることは許されてきた感があった。しかしここ数年は、相撲界での体罰による死亡事故が起こるなど、その根底を考え直さなければならない出来事が多く発覚している。それにも関わらず、多くの指導者はこの心身ともに追いつめる「体罰」「罵声」ありきの方針を変えずにきていた。スポーツ界ならではの独自の体質は、勝利至上主義の一部トップレベルのスポーツ分野に限られたものだけでなく、実は少年スポーツ団の頃より根付いているとも考えられる。

 日本の全国各地には、少年育成を目標に掲げたスポーツ団体が多く存在する。なかでも野球、サッカー、バレーなどの団体競技が多く、仲間意識や心を育てる、ということを第一目標としているはずだが、実際はどうだろうか。

 例えば練習中のチーム分けを、代表の2名にジャンケンさせ、好きな子から取っていく。当然、残りの子どもには「自分へ上手くないから取ってもらえない」という思いが残り、周囲の子どもの間にも「あの子は上手くないから残される」という印象を残す。深い意味のない指導者のこうした軽率な行動が影を落とし、様々ないじめにつながる要因を引き落とすことになる場合も多い。これは指導者の多くがボランティアなため、指導者の専門職でないお父さんコーチである場合が多いことも要因であろう。小学生の頃は先生や監督など、上に立つ人間の影響力は大きい。その重要性に気付かない大人が多いのが問題をより深刻化させているようにも思える。

 また、月謝を支払い習わせるクラブチームではなく、地域密着のスポーツ団体でも、「勝ち」にこだわり、上手い子どもだけが試合に出て、練習試合でも補欠の子どもはベンチで座り続けているチームも多い。小学校を終えた時、そのスポーツが嫌いになり、やめてしまう子どもも多いようだ。また、出場し続けている子も、「活躍する」ことだけを望まれることで、幼いころからプレッシャーと戦い、スポーツそのものを楽しめなくなっているという可能性も考えられる。

 もちろん、世界を舞台に戦う選手たちはそういう厳しい環境の中を勝ち抜いてきたのであろう。しかし、生涯スポーツという言葉があるように、スポーツで友達を蹴落とし、上手い下手が人間の価値観につながる指導を行っているようでは、日本は真のスポーツ大国にいつまでたってもなることができないだろう。今回の相次ぐスポーツ分野での「体罰」「パワーハラスメント」問題は、実はもっと根っこの部分で起こっている出来事の延長戦にあるのではないだろうか。(編集担当:宮園奈美)