名車概論・特別篇/天皇陛下の御料車──令和・天皇即位祝賀パレードはセンチュリーのオープン

2019年04月21日 14:19

Century Royal

6代目となる天皇陛下の現行“御料車”、2代目センチュリーをベースに特装した完全特注車のストレッチド・リムジン

 時代が「平成」から「令和」に変わろうとするいま、新・天皇陛下即位を前に現・天皇皇后両陛下の関連儀式に参加するお姿がニュース映像で流れることが多い。4月17日に両陛下は三重県を訪れ衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮におひとりずつ参拝された。

 天皇陛下はクルマに乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮関係者や地元の子供たちが整列して迎えると、会釈をするなどして応えられた。天皇陛下は、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともにクルマを降りられた。

 そのクルマが、本稿のテーマ“御料車”である。宮内庁によると“御料車”とは、

 「御料車は,天皇皇后両陛下がご乗用になる車両で,皇室専用の皇ナンバーのものと品川ナンバーのものがあります。国会開会式など公的なお出ましには皇ナンバー,その他のお出ましには品川ナンバーをお使いになることが通例です。平成18年から導入したセンチュリーロイヤル(トヨタ自動車)は,陪乗席を備えた8人乗りの大型車であり,国会開会式,全国戦没者追悼式及び国賓接遇などに限定的にご使用になっています」という。

 今回の伊勢神宮参拝には2台のセンチュリーロイヤルが使われ、天皇陛下、皇后陛下それぞれ別の車両に乗車され、参拝に向かった。

 現在の御料車「センチュリーロイヤル」は、1967年(昭和42年)から使われてきた「プリンスロイヤル」(プリンス自動車)が老朽化したために更新され、2006年(平成18年)から採用されたモデルだ。プリンスを吸収合併した日産自動車にも、次期御料車について宮内庁から打診があったとされるが、日産は辞退したとされる。

 天皇陛下がお使いになられた歴代の御料車は、自動車史に輝く、それこそ世界の名車が並ぶ。

 初代は英国ダイムラー製「デイムラー ランドレー57.2HP」は、1912年の大正天皇即位に備え採用された。同車は英国王室が御料車として初採用したクルマとして知られるクルマで、英国留学経験のあった国内初の輸入車販売会社「日本自動車」の大倉喜七郎が選定にあたり2台導入された。

 2代目御料車は英国製「ロールスロイス シルヴァーゴースト」だ。日野自動車の前身となる「東京瓦斯電気工業」により、1921年(大正10年)に2台が輸入された。1924年の昭和天皇(当時は皇太子)「結婚祝賀パレード」で使用された御料車で、1936年(昭和11年)まで使用された。

 1932年(昭和7年)、初のドイツ製で3代目御料車「メルセデス・ベンツ770」は、当時外交関係が悪化した英国車が選考から外されたためだったとされる。いわゆる当時のベンツ最高級車で「グローサー・メルセデス」と呼ばれたクルマで、全長×全幅×全高5380×1820×1820mmの超大型車。117台だけが生産され、そのうち7台が日本の皇室に納められた。

 戦後、米国製「キャデラック75リムジン」が4代目となり、前述のとおり1967年に国産初の「プリンスロイヤル」が5代目御料車となり、引き継いだ「センチュリーロイヤル」となり、現在に至る。

 2006年(平成18年)からトヨタが製造した6代目御料車「センチュリーロイヤル」は、当時一般に販売していた2代目センチュリーをベースに特装とした3台のリムジンとワゴン型の寝台車、計4台。

 8人乗りリムジンの寸法は全長×全幅×全高6155×2050×1780mmと超大型。サイドドアは観音開きで、式典時における沿道からの注目に、後席の天皇・皇族方の姿が明瞭に見えるよう、後扉窓・扉後方窓の窓を拡大。また、ウインドウガラスは防弾ガラスへ変更されている。

 なお室内は前席(運転席&助手席)が本革張りで、後席はウール織物とされる。これは、最高級リムジンの様式に則った艤装で、先代のプリンスロイヤルや英国王室のベントレー・ステートリムジンも同じ仕様だ。

 搭載エンジンや駆動系の詳細は発表されていないが、エンジンは国産車用として唯一無二の1GZ-FE型5リッターV型12気筒DOHCユニット、足回りは4輪ダブルウイッシュボーン式エアサスと思われる。

 なお、政府、内閣官房・内閣府皇位継承式典委員会によると、第3回会合を開き、2019年10月22日に行なわれ新天皇即位祝賀パレードで使用するクルマ、「トヨタセンチュリー」の特装車「オープンモデル」に決定したと発表した。オープンモデルが現行のハイブリッド仕様センチュリーなのか、センチュリーロイヤルをベースとするのかは不明だ。(編集担当:吉田恒)