1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いを制し、天下をとったことにより、関東平野に突然、人や物が集まる巨大な街が生まれた。それが、270年にも及ぶ長きに渡っての繁栄を続けた江戸時代の幕開けである。やがて、各地域から江戸への流通経路を確保するために街道や海路が誕生し、各産地で作られたものが花の都に溢れるようになる。名門酒蔵が集まっていた伊丹(現在の兵庫県伊丹市)で作られていた清酒も東の都へと渡るようになり、幕府に仕える武士のみならず、江戸の庶民にとっても伊丹ブランドの清酒は、高級酒として嗜まれるようになっていった。
そんな江戸の文化を支えた日本酒の歴史を探るイベントが13日、浅草公会堂(東京都江東区)で開催された。「歴史を旅するお酒・きき酒セミナー」と題して行われたこのイベントは、1550年から461年も続く、伊丹の老舗蔵元である小西酒造が主催したもの。その目的としては、一般の消費者に日本酒の歴史に関する知識を深めてもらい、新しい発見をしてもらうことで、日本人が忘れかけている日本酒の奥深い魅力を再確認してもらうことにあるようだ。
同セミナーでは、日本酒史学会々員で、神戸大学大学院の研究員でもある石川道子氏による日本酒の歴史に関する講演も行われた。江戸時代に伊丹や池田の蔵元が清酒の仕込み方法を確立し、腐らないお酒を作ることに成功したことで、上方から江戸への輸送が可能となったことなど、歴史的文献から推測される当時の酒造りや流通に関する様々なエピソードが語られた。石川氏によれば、当時は100万人といわれる江戸の人口に対して、もっとも多い年でなんと年間120万樽もの清酒が上方から江戸に運ばれており、さらに江戸で消費される日本酒の7割以上が伊丹をはじめ、池田、西宮、灘、大阪三郷などで作られたものであったという。
そして、セミナーの最後には、小西酒造が秘蔵古文書により復刻させた「江戸・元禄の酒(元禄15年:西暦1703年)」「幕末・慶応の酒(慶応3年:西暦1867年)」「戦後・昭和の酒」が参加者全員に配られた。この3つの異なる時代の白雪復刻酒は、同社が今も残る歴史的な文献「酒永代覚帳」やその他貴重な資料などから、当時の消費者の嗜好の変化をつかみ、各時代の「白雪」の味わいを今の時代に蘇らせたもの。参加者は、3つに時代の白雪をきき酒し、その時代の人々が嗜んだ味わいを楽しんでいた。
ここ最近、国内の日本酒消費量は、年々減少傾向にある。特にここ10年での落ち込みは顕著で、各地域の蔵元は、大都市などで様々なイベントを開き、売り上げ低迷にストップをかけようと、様々な形でのPR活動を行っている。遥か昔、上方から花の都「江戸」へ何日もかかって清酒を運んだように、21世紀になった今、伊丹ブランドの代表的な蔵元である小西酒造が、大都市「東京」の市場にて、先祖たちが愛した味で勝負をかけようとしている。