2026年度予算案の策定に向けた大詰めを迎える中、夜のニュース番組では「経済財政諮問会議」や「法制審議会」といった看板を掲げた会議が連日報じられています。深刻な表情を浮かべた学者や企業経営者が円卓を囲み、会議終了後に座長が記者団へ「一定の方向性が示された」と語る場面は、日本の政策決定における“お決まりの光景”です。
私たちは日常的に「審議会が方針を固めました」という報道に触れています。しかし、果たしてその集まりが、どれほどの権限を持ち、どのような役割を果たしているのかを正確に理解している人は、意外なほど少ないのが実情です。
審議会とは、簡単に言えば行政機関が特定の政策を検討する際、外部の専門家や利害関係者の意見を聴くために設置される機関を指します。重要なのは、その多くが「諮問(しもん)」と「答申(とうしん)」というプロセスを踏む点です。政府が「この問題について意見をください」と問いかけ(諮問)、審議会が「こうすべきです」と回答を出す(答申)。一見すると審議会がすべてを決めているように見えますが、制度上の最終的な決定権は、あくまでも大臣や内閣という「行政」側にあります。
ここで重要になるのが「誰が責任を負うのか」という点です。日本の統治機構において、政治家は「選挙」を通じて国民から直接選ばれた、いわば民主主義の正統性を持つ存在です。一方、実務を担う官僚は、国民が選ぶのではなく、国家公務員試験という「試験」を突破して採用された専門家集団です。
官僚は政治の中立性を保つために身分が保証されていますが、国民から直接選ばれていないため、彼らだけで国の方向性を決めることはできません。だからこそ、国民の審判を受けた政治家が官僚をコントロールし、さらに第三者の「有識者(審議会)」の意見を仰ぐという三層構造のプロセスが必要になるのです。
しかし、なぜこの仕組みが分かりにくいのでしょうか。そこには、政府が自らの責任を分散させるために、審議会の結論を「お墨付き」として利用するという側面があるとの見方があります。「有識者が決めたことだから」という説明は、批判をかわす防波堤になりやすいのです。一方メディア側も、会議の密室性を批判しつつも、そこで出された資料を「事実上の決定」として速報するため、読者には「審議会=結論を出す場所」という印象が強く刷り込まれてしまいます。
今後、ニュースで審議会の名前を目にした際は、「これは誰の意見なのか」を一度立ち止まって考えてみることが、読み方のヒントになります。審議会の結論はあくまで「提案」であり、それを実際に政策として採用し、責任を負うのは、私たち国民が選んだ政治家です。この「提案と責任の分離」を意識するだけで、ニュースの背後にある力学が、驚くほどクリアに見えてくるはずです。(編集担当:エコノミックニュース編集部)













