憲法改正「9条」にどう向き合うか

2013年03月23日 20:22

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今月14日と21日に衆議院で憲法審査会が開かれた。現行憲法のうち、第1章(天皇)、第2章(戦争の放棄)、第3章(国民の権利および義務)、第4章(国会)について議論された。

 今月14日と21日に衆議院で憲法審査会が開かれた。現行憲法のうち、第1章(天皇)、第2章(戦争の放棄)、第3章(国民の権利および義務)、第4章(国会)について議論された。

 安倍政権の下で最も関心の高い議論が第9条(戦争の放棄)への各党の考え方だった。自民、日本維新の会は9条改正へ足並みが揃う。みんなの党は2年の国民的議論の後に国民投票で決めるべきとする。

 一方、与党ながら、公明党は「9条については堅持すべき」とし、共産党も9条の内容は「国際公約」だとした。社会民主党は当初から「憲法9条を守る」と党の目標にもしている党だ。

 民主党と生活の党はいずれの立ち位置にあるのか鮮明になっていない。ただ、夏の参議院選挙の結果によっても、その後に活発化しそうな「憲法改正のハードルの変更」。これが低くなったとき、9条の規定にどう向き合うのか。政党や国会での議論にとどまらず、国民全員が真剣に向き合わなければならない重要な問題になることは確かだ。

 憲法審査会で橘幸信衆議院法制局法制企画調整部長は政府の9条解釈のポイントと論理構造について概要説明を行っている。この中で橘氏は9条第1項前半の「国権の発動たる戦争」については「国権の発動でない戦争があるのか。国際的な枠組みの中でのグループ行使はわが国としての国権の発動たる戦争ではないのではないかなどの議論があるが、そのような戦争があるのであれば、それは憲法で禁止されていないのではないかという指摘もありうる。これに対し、『政府は国権の発動たるとは、国家の行為としての国際法上の戦争ということであり、国権の発動でない戦争があるわけではない』と解釈している」と説明した。

 次に「国際紛争を解決する手段としては」について「国家の政策手段としての戦争という意味であり、侵略目的の戦争を意味する。この解釈は1929年発効のパリ不戦条約と同様の文言の解釈以来、定着したものと解釈されている」とした。そのうえで「9条1項は侵略戦争だけを放棄したものであり、自衛戦争や制裁のための戦争などは、本条項のみによっては放棄されていないと解釈されている」とした。

 そして、第2項の『前項の目的を達成するため』という文言は「大きな意味を有することとなる」とした。橘氏は「第1項で規定されている侵略戦争放棄のためと理解すれば、侵略戦争のための戦力は保持しないということだけになり、自衛のための戦力や制裁のための戦力は持っても良いということになる。しかし、政府見解は、前項の目的とは第1項全体の趣旨を指すものであり、第2項の戦力不保持は侵略戦争のための戦力に限るわけではなく、一切の戦力の不保持を宣言したものと解釈している」とした。

 保持してはならない「戦力」についての解釈では「政府は近代戦争の遂行能力としていたが、自衛隊法が制定された昭和29年以降は、一貫して自衛のための必要最小限度の実力を超えるものが戦力だと解釈している」と説明した。

 橘氏は「警察力を超えるものであっても、外国から自国を守るための必要最小限度の、いわゆる自衛力は9条2項で禁止されている戦力ではないという論理構成になると思う」と説明を行った。

 また「個別的自衛権(わが国自身が攻撃された場合に反撃できる権利)は行使できるが集団的自衛権(わが国と密接な関係にある国が攻撃され、わが国が攻撃されていなくても実力を持ってその外国を守り、外敵を阻止する権利)は行使できない」という政府解釈の論理構成については「政府は憲法9条1項は独立国家に固有の自衛権までも否定したものではない。自衛権を有することは主権国家として当然であると解釈している。しかし、9条1項、2項全体の下で許される自衛権の行使はわが国を防衛するために必要最小限度のものにとどまるべきであり、その意味で、わが国自身が攻撃されていない場合の集団的自衛権の行使はその範囲を超え、許されないと解釈されている」と説明している。