道頓堀川に輝くグリコの巨大ネオン。今や大阪のランドマークとなっているグリコポーズの看板がこの場所に登場したのが1935年。江崎グリコ株式会社 <2206> の創業はその13年前にさかのぼる。
創業者である江崎利一氏が、佐賀県で家業の後を継ぎ、薬剤の商いをしていた中で、牡蠣の煮汁に含まれる栄養素グリコーゲンと出会ったことが江崎グリコの始まり。1920年、利一氏の長男がチフスという病にかかり医者もさじを投げるほどの状態だったとき、藁にもすがる思いで医者に相談。了承を得てグリコーゲンのエキスを飲ませてみたところ容体が回復したという。「息子の命を救ってくれたこのグリコーゲンを世の中の人に伝え、多くの子供たちの健康に役立てたい」。その思いから試行錯誤を繰り返した結果、育ち盛りの子供たちがおいしく食べられるようにと当時人気急上昇中だったキャラメルに練りこむことを決めた。形も生産には困難を極めたが、心臓、真心、健康を表すハートの形にこだわった。
この今までにない全く新しいジャンルの”栄養菓子”であるグリコーゲン入りキャラメルを「グリコ」と命名。1922年、このひと箱を多くの子供たちに広めたい、その想いだけのために江崎グリコを創業したのだという。
「グリコ」の箱に大きく描かれたグリコマークも、当初、象やペンギン、鳩など、多くの図案を試作したが、なかなか決定には至らなかった。ある日、利一氏が神社でかけっこする子供達を眺めていると、両手をあげて元気いっぱいにゴールする姿に出会う。「これこそが健康のシンボルにふさわしい!」と感銘。以来、江崎グリコの全製品についているこのマーク、「おいしさと健康」を願うグリコグループのシンボル的存在となっている。
また、有名な1粒300メートルというキャッチフレーズは、出身地である佐賀県で1つほおばると博多に着くまで口の中にある大きな粒、という意味を持つ「博多まで」という飴玉があったことをヒントに考案。1粒には300メートル走るのに必要なカロリーが含まれているという。
実際、「グリコ」には企業理念である”おいしさと健康”の原点がすべて詰まっている。利一氏は子供というのは”食べること”と”遊ぶこと”が2大天職だと考えていた。結果、グリコを玩具付きにするという発想も生まれたのだという。”お菓子で身体の健康を、玩具で心の健康を”という利一氏の想いを実践した「グリコ」。今までに2万数千種類、50数億個の玩具が作られてきた。
キャラメルに付く玩具も時代の流れに沿い内容は変わっていく。当初はタバコカードをヒントにした絵カードを封入。昭和に入るとオマケ小箱も付き、紙工品による玩具が増えていく。戦後は物資不足などにより、クレヨンや消しゴム、チョークなど実用品となる玩具が喜ばれたという。その後、セルロイド製品やプラスチック製品が登場。乗り物や家電製品、アニメキャラクターなど、様々な分野の玩具が登場してきた。2001年に第一弾が発売されたタイムスリップグリコは、大人がターゲット。2005年に発売された大阪万博編シリーズまで、幼少時代を懐かしむ大人世代から大きな支持を得ていた。フィギュアは模型業界では高い造形技術で有名な海洋堂に制作を依頼したという。
今年、登場から88年目を迎える「グリコ」。2010年3月2日に発売した今シリーズは5年ぶりに木の玩具が登場。親と子が一緒に遊べる玩具として話題を集めている。売上だけで考えるとここ数十年は「ポッキー」などに主役の座を奪われているが、江崎グリコにとって創業の製品である「グリコ」の存在価値は絶大だ。「グリコには江崎グリコのDNAがすべて詰まっている」と語る広報IR部、南賀哲也氏。このことは社員全員が認識しているという。90歳を超えても尚、企画会議に顔を出し、意見を述べていた創業者である利一氏の想いがすべて詰め込まれている「グリコ」。江崎グリコが存在する限り、「グリコ」は変革を遂げながらも存続していくのだろう。
(編集担当:宮園奈美)