アフリカ市場を「急がば回れ」で開拓した日系企業

2013年06月01日 19:24

 アフリカ開発会議(TICAD)が2013年6月1日から3日まで開催される。会場は横浜みなとみらい21のパシフィコ横浜。

 TICAD(Tokyo International Conference on African Development)は、アフリカ諸国と開発パートナーである日本の民間企業との間で具体的な施策、対話を促進するために1993年からスタートした。TICADは、ふたつの基本原則、国際社会の「協調」、アフリカ諸国の「自助努力」を基本に、アフリカ諸国の開発推進に向けた国際的枠組みへ進化してきた。
 
 ジェトロが昨年夏から秋にかけて調査。333社に送った調査票の回収率は50.5%達した。この調査のなかで半数以上の企業が「アフリカでの事業業績が改善し事業の拡大が望める」と回答した。加えて、アフリカ市場に進出するライバル国として「中国および韓国」を挙げる企業が増えたことに注目が集まっている。同時にアフリカ諸国の「政治・社会の不安定さ」を危惧する意見も目立っている。

 このように有望視されるものの、まだまだ日本企業にとって馴染みの薄いアフリカ。

 この未知の大陸へ、日本が高度経済成長真っ只中の1967年に進出した日本企業がある。日本政府によるODA(政府開発援助)を機会に、船外機でアフリカへ進出した日系企業がある。オートバイメーカーとして有名なヤマハ発動機だ。

 60年代後半から70年代、小型ボートの動力である船外機はプレジャーボート向けが主流で、メーカとしてもヤマハは後発だったが、日本政府によるODA(政府開発援助)を機会に、この船外機でアフリカへ進出する。ヤマハはモーリタニアの漁民に向けて簡便で過酷な使用条件に耐え得る耐久性の高い船外機を開発、提供を開始した。

 しかし、右から左に船外機を売りさばけた訳ではない。豊富な漁業資源を前にしてもその活かし方を知らない現地にJICA漁業指導員と共に、漁の仕方から保存・輸送方法などを伝授するところから取組んだ。ODAの目的である地域を漁業で活性化させるためだ。フランスから独立間もないモーリタニア、まさに1960年の「アフリカの年」に独立を勝ち取った国々とともに、独立国家として歩み始めたモーリタニアが、“飛躍に向けて”動き出す頃と時を同じくした。

 大西洋に面したモーリタニアは漁業資源が豊富だった。しかしながら、漁の仕方を知らない現地へ教育するため、ヤマハ社員は、北海道から沖縄まで、日本の水産業のあらゆる漁業技術を当時の広報部社員が足で調べていった。それは、船外機を販売する前提として漁業が儲かる商売であることを実証するためのひとつであったという。

 その「日本で調べ上げた漁業技術を、誰が見ても直感的に判る絵を多用し『フィッシャリー・ジャーナル』としてアフリカ数カ国語に翻訳、現地の人に最新漁業技術を教えるために配布をし、共に現地とこれまで歩んできた」とヤマハ発動機広報部。

 その、「急がば回れ」の地道な努力が実り、2009年度にはモーリタニアの水産業売上は200億円にのぼり、その86%が日本向け「タコ」だという。日本政府によるODAにより水産加工場や湾岸整備なども進み、モーリタニアの港では3000艘もの「タコ漁船」が停泊する。その漁船のほとんどがヤマハの船外機を装着しされている。

 そのような先人たちの想いを受け継ぐひとりであるヤマハ発動機・海外市場開拓事業部グループリーダーの西嶋氏は「当時の社員はモーリタニアの漁業の発展を黎明期から漁民とともに体験しました。そのなかで、ともに汗を流し、船外機という便利な機械を提供し、その後のメンテナンスも含めて共有してきました。過酷な使用に耐える商品づくりと、“販売・整備という分野”を産業として定着させたことがヤマハへの信頼に繋がり、そして評価されたのではないでしょうか」と感慨深げに述べてる。

 日本は、ODAだけでなく、JBIC(国際協力銀行)などの案件でも、開発援助を数多く行ってきたし、今後も行っていく。日本対要開発援助諸国への国家間開発援助は確かに重要だ。が、数年前に日本政府から依頼された日本の開発援助コンサル会社と現地役人の癒着や贈収賄が問題になったこともある。今後は政府間だけでなく、このモーリタニアにおけるヤマハ発動機のような民間レベルで達成できる“具体性と継続性”のある援助を積み重ね、今回のTICAのテーマになっている、「援助から投資へ」を具現化することに期待が寄せられる。(編集担当:吉田恒)