秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参議院議員の行為が当然ながら問題になっている。1点は「手紙を渡した行為」。2点は「手紙の内容」。いずれも問題だ。
とりわけ、手紙の内容が東京電力福島第一原発事故による子どもの被ばく問題や事故収拾作業員の労働環境を取り上げた内容となれば、時の政治問題に天皇陛下に何らかの働きかけを要望したとも受け取れる行為で、天皇陛下に時の問題情報を能動的に提供する行為自体、何らかの影響を与えるものとして、政治利用につながる危険性があり、悪しき前例になってはならない。
それは、天皇が「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」で、それ以上の存在でも、それ以下の存在でもない。以上でも・以下でもあってはならない。憲法によって、そのことは明確に規定されている。
天皇陛下は憲法上に定める国事行為以外に国政に関する権能は有しない。それゆえ、その内容が厳しく問われなければならない。天皇が国家元首かどうかについても議論を二分するなかで、政治と天皇陛下との距離は峻別された世界でなければならない。日本国憲法の下で国民が守り続けてきたことである。
政治利用として問題視された最近のケースでは政府主催で今年開催された「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」だった。生活第一の党や社民党、日本共産党、沖縄県知事らは『天皇の政治利用』だとし、式典を欠席した。山本議員はそこまで慎重な問題であることを認識するべきだった。
普段から山本議員が脱原発や福島第一原発事故での子どもたちの被ばくへの心配、事故現場で収拾活動にあたっている作業員らの過酷さに心を痛めていることは多くの有権者の知るところだが、その思いを天皇陛下に直接伝えることの意味については、やはり、客観的に政治利用との批判をぬぐえない。
下村博文文部科学大臣は「議員辞職ものだ」と批判。辞職に値するくらいの問題をはらんだ行為であることを指摘した。自らの政治信条や政治活動がどれだけ多くの人に支持され、社会的な流れから正論とされていたとしても、そのことと、天皇が政治利用される可能性の危険をはらむ問題への配慮の欠如は『国会議員として猛省に値する』。
民主党の松原仁国対委員長は「国会議員は私人ではなく、公人。政治的な立場にある。(手紙を渡す行為自体)権力を持つ国会議員の行為であり、天皇陛下に対する政治利用を意図するものであることは間違いなく、到底許されることではない」と断言。「あってはならないこと」と憂慮した。公明党の石井啓一政調会長も皇室の政治利用になりかねないと今回の行為を憂慮した。
山本議員は今回の行為がいかに危険な行為につながる可能性を秘めたものであったか、意図していなくても、自らが公人であることを自覚し、皇室に対しては政治的に慎重であり続けて頂きたいと願う。それが、国民から負託された国会議員としてのポストを大事にし、国民を大事にし、憲法を大事にし、象徴天皇制を大事にすることになる。また、脱原発への思いを時間をかけて国政の場に生かす道でもある。(編集担当:森高龍二)