外交安保 民主主義の仮面つけた独裁への危険

2014年02月15日 11:42

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外交・安全保障政策については国会で特に慎重な審議が求められる。外交・安全保障で民主主義の仮面をつけた多数派与党による「独裁政府」を誕生させてはならない

 アベノミクスで経済に明るさを見せることに成功している安倍晋三総理が外交・安全保障では慎重な対応を望む国民の声より、自らの思いと米国優先に驀進している。外交・安全保障政策については国会で特に慎重な審議が求められる。外交・安全保障で民主主義の仮面をつけた多数派与党による「独裁政府」を誕生させてはならない。

 安倍総理の米国優先の象徴が今月12日の衆議院予算委員会での集団的自衛権行使に対する答弁だった。憲法解釈の変更をめぐる答弁で、安倍総理は「最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、そのうえで選挙の審判を受ける」と語った。

 解釈変更による憲法解釈も通常の衆議院選挙で正当性を勝ち得るという危険な論理だ。総理の発言は一見、しごく御もっともな、責任ある答弁のように見えるが、これは『憲法』の解釈論の問題であり、日本国憲法施行以来、綿々と築いてきた平和外交交渉での安全保障確保への努力や軍備を背景としない外交交渉路線から「国防路線」を大きく転換させてしまうことになりかねない国民にとって大きな問題である。

 憲法解釈に関しては政府見解に整合性がなければならない。内閣や政権が変わっても『法的安定性』が損なわれないよう担保しなければならない。政府のご都合で憲法解釈がころころ変われば、国民はもちろん、諸外国も『日本の憲法』の法的安定性に疑問を抱かざるを得なくなる。

 歴代内閣は内閣法制局の議論を尊重し、憲法解釈については内閣法制局長官が国会で答弁してきた。さきの安倍総理の国会答弁に対しては自民党内部からも批判の声が出ているので、自民党にも自浄能力や制御能力はあるようだが、集団的自衛権の行使が憲法解釈の変更でできるとする総理の結論づけの手法や安保法制懇の報告を受け、すぐにも、熟議で出された結論のような発想は許されるべきでない。

 安保法制懇の報告は報告とし、議論のたたき台にするのはよいが、憲法9条(戦争の放棄と戦力の不保持)や憲法の前文などに照らしてどうなのか。逸脱するものではないか。与党内部での議論を経て、国会でも時間をかけた熟議が必要だ。

 衆参で与党の安定多数が、特定秘密保護法案の審議でも幅をきかせ、国論を2分する議論の中で審議は尽くしたとして強行に成立させた。特定秘密保護法への不安感や時の政府が恣意的に利用しないかとの国民の不信感は解消されていない。

 安全保障と米国優先外交が国内世論より何より優先されている起点は第2次安倍政権誕生から間もない安倍総理の米国訪問、オバマ大統領との首脳会談から始まっていた。

 普天間飛行場の名護市辺野古への移転、日本版NSCの設置、情報共有のための特定秘密保護法制定、そして今度の集団的自衛権の行使容認への憲法解釈変更による事実上の「解釈改憲」への加速化。自衛隊と米軍による日米共同訓練の深化など、一連の流れは昨年2月から安倍総理の中ではレールがひかれていたのだろう。首脳会談の中で、安倍総理が「集団的自衛権について検討している」と見直しする意思を語ったときから、今日の結果を想像するのは容易だ。

 オバマ大統領が日本を訪問する4月に安倍総理は集団的自衛権について、かなり突っ込んだ意見を語るのではないか。解釈改憲の具体的なものを示すのではないか。それは、危惧すべきことだ。首脳会談において説明することは国の方針を示すことになるが、「最高責任者」なのだから。「政府として、私(安倍総理)が責任を持ち、選挙の審判を受ければ」良いという内容ではない。

 安倍総理の思いと国益が常に一致するとは限らない。今回の問題では総理への与党としての自民のコントロール能力と公明の与党として役割、野党の世論形成能力が問われることになろう。そうした能力や役割が期待されていると言い換えてもよい。(編集担当:森高龍二)