第三者からの精子提供による人工授精(AID)で誕生したという出自を持つ横浜市の医師が、当時治療を行った慶応大学病院に対して遺伝上の父親(=精子提供者)の情報を開示するように要望書を送った問題で、病院側から「資料が残っていない」という回答があったという。
医師の両親が同大学病院でAIDの治療を受けたのは今から40年ほど前ということになるが、そもそもAIDについては当時から「精子提供者の情報は開示されない」という不文律があり、この旨を文書化して念書とし治療を受ける両親がこれを受け入れるというのが常識であった。これはもちろん現在でも原則とされている。その点で見ると大学側としては「情報は開示しない」という前提での治療ということであり、精子提供者と患者側の双方が了承しているわけだから、事実はともかく40年前の治療記録が残っていないというのはやむを得ない部分もあるように思える。
しかし、これは非常に難しい問題で、振り返ればこの治療を行った時点では存在していない「生まれてくる子供の知る権利」というものが全く考慮されていないのである。今回の医師のように自分がAIDによって生まれた子供であると知った場合、「遺伝上の父親」を知りたい、また会いたいと思うのは自然な感情とは言えないだろうか。しかし、その知る権利がすでに自分が誕生する前に奪われているというのは理不尽であるともいえる。また現実味はないかもしれないが、自分の精子提供者が分からないまま成長し、思いもよらず遺伝上の近親者と子を生してしまう可能性もゼロではない。
近年では精子提供者の情報は医療機関がしっかりと管理しているケースがほとんどだということではあるが、それでも原則としてこの情報が開示されることはない。治療が一般化して少なくとも40年以上経ちながら、実際にはこれらの問題に対する答えは用意されていないのである。
現在急速に研究が進んでいる遺伝子治療や、その先に見えてくるクローン技術。これらが一般化すればさらに複雑な生命倫理的問題が起きてくるのは明らかだ。もはや口先だけではない“国民的議論”が必要になってきている問題なのではないだろうか。(編集担当:久保田雄城)