集団的自衛権行使は解釈で可能と安保法制懇報告

2014年05月16日 06:48

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安保法制懇が15日、安倍総理に対して法制懇としての報告書を提出。集団的自衛権行使は「解釈変更でできる」とした

 安保法制懇が15日、安倍総理に対して法制懇としての報告書を提出。集団的自衛権行使は「解釈変更でできる」とした。

 安保法制懇は「(「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」との)憲法第9条第1項の規定は、わが国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきで、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである」とした。

 また「PKO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは国連の活動への参加に制約を課している点と「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で二重に適切でない解釈である」とした。

 そのうえで「憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を『国際紛争を解決する手段』として放棄すると定めたことを受け、『前項の目的を達するため』に戦力を保持しないと定めたものであり、わが国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力の保持は禁止されているが、それ以外の、個別的または集団的を問わず自衛のための実力の保持やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである」とし、自衛について「個別的、集団的を問わず」と集団的自衛について当然のごとく「自衛の手段として禁止されていないと解すべき」と論理展開した。

 また「政府は憲法上認められる必要最小限度の自衛権の中に個別的自衛権は入るが、集団的自衛権は入らないという解釈を打ち出し、今もってこれに縛られている」としたうえで「集団的自衛権の概念が固まっていなかった当初の国会論議の中で、その概念の中核とされた海外派兵の自制という文脈で打ち出された集団的自衛権不行使の議論は、やがて集団的自衛権一般の不行使の議論として固まっていくが、その際、どうしてわが国の国家および国民の安全を守るために必要最小限の自衛権の行使は個別的自衛権の行使に限られるのか、なぜ個別的自衛権だけでわが国の国家および国民の安全を確保できるのかという死活的に重要な論点についての論証はほとんどなされてこなかった。政府は『外国の武力攻撃によって国民の生命・自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである』(72年10月に参院決算委員会に提出した政府の見解)として、集団的自衛権の不行使には何の不都合もないと断じ、集団的自衛権を行使できなくても独力でわが国の国家および国民の安全を本当に確保できるのか、ということについて詳細な論証を怠ってきた。国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守り得るのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。一国のみで自国を守ろうとすることは、国際社会の現実に鑑みればむしろ危険な孤立主義にほかならない」と主張した。

 そうした論理展開の下で、法制懇は「『必要最小限度』の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の憲法解釈は、『必要最小限度』について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではなく、『必要最小限度』の中に集団的自衛権の行使も含まれると解すべきである」などと結論づけた。

 そして「集団的自衛権を実際に行使するには、事前または事後の国会承認を必要とすべきである。行使については、内閣総理大臣の主導の下、国家安全保障会議の議を経るべきであり、内閣として閣議決定により意思決定する必要があるが、集団的自衛権は権利であって義務ではないため、政策的判断の結果、行使しないことがあるのは当然」とした。

 また「PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力については、憲法第9条の禁ずる『武力の行使』には当たらず、このような活動における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用に憲法上の制約はないと解すべきである」とした。

 安保法制懇は「憲法には個別的自衛権や集団的自衛権についての明文の規定はなく、個別的自衛権の行使についても、わが国政府は憲法改正ではなく憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある。こうした経緯に鑑みれば、必要最小限度の範囲の自衛権の行使には個別的自衛権に加えて集団的自衛権の行使が認められるという判断も、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は当たらない。国連の集団安全保障措置等へのわが国の参加についても同様に、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能である」と憲法改正の手続きを経なくても集団的自衛権の行使は可能だとした。

 この報告に日本共産党の志位和夫委員長は「安保法制懇の報告書は集団的自衛権行使容認とともに、多国籍軍への参加も無制限に認めるものとなった。そうなれば、日本は侵略戦争以外の戦争は何でもできるということになる。憲法9条を亡きものにする暴論だ」と強く批判している。

 志位委員長は「集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の政府解釈は適当ではないとして、その容認を公然と求めるものとなっている」と批判。特に「集団的自衛権行使は日本に対する武力攻撃がなくても、他国のために武力を行使するということ。それは、海外での武力行使をしてはならないという憲法上の歯止めを外すことにほかならない」と警鐘を鳴らした。

 そのうえで「日本は2001年に開始されたアフガニスタン報復戦争、2003年に開始されたイラク侵略戦争に自衛隊を派兵したが、武力行使をしてはならないという憲法上の歯止めがかかっていた。集団的自衛権行使が容認されれば、こうした歯止めが外されて、日本の自衛隊が戦闘地域まで行って、米軍とともに戦闘行動に参加することになる。政府が、この方向で閣議決定をすることなど断じて許されない。一内閣の判断で憲法解釈を自由勝手に変えることは立憲主義の否定にほかならない」と強く反発している。(編集担当:森高龍二)