安倍内閣が憲法改正とともに教育現場で「愛国心育成教育」に本腰を入れる狙いだ。「『主権者教育』の在り方を検討する小委員会を党内に設置することが分かった」と産経新聞が2日付け1面トップで扱った。「美しい日本」を標榜していた安倍総理にとって、愛国心を育てる教育の環境づくりと憲法改正は自身の目標でもあるだろう。
「主権者教育」とは何か、産経新聞も鍵カッコでくくりをつけた表現をするが、リードには「政治思想が偏った教職員による児童・生徒への誤った指導に歯止めをかけるため」としており、「必要な法改正などを検討し、大型連休前後に政府に提言する方針」としている。「超党派議員連盟も設立する」。必要な法改正では罰則規定も視野に入れるもよう。
ここで特に検討が必要なのは教職員の政治思想が「誰にとって偏った思想」といえるものなのか、という点。政権にとって不利な情報提供をする教職員はすべて『偏った思想を持った教職員』にされかねない。安倍総理にとって日教組なのかもしれないが、特定のところに所属する教職員をいうものではない。
教育の世界は、ある種、放送法に基づくNHKの立場と共通する。特に、歴史教育においては「事実を事実として、政治的に中立、公平、公正、不偏不党」の立場で、教職員は児童、生徒、学生の年齢に応じ、適切な教え方をしていくべき。
わたしが気になるのは安倍総理ら現行閣僚の多くが「日本会議」の運動に呼応し、運動を支持する超党派の国会議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」のメンバーであること。「主権者教育」と称される背景の思想がここにあるように私にはうつるからだ。
日本会議は平成9年の設立趣意書の中で「東京裁判史観の蔓延は、諸外国への卑屈な謝罪外交を招き、次代を担う青少年の国への誇りと自信を喪失させている」としており「世界有数の経済大国を誇った我が国も、かつての崇高な倫理感が崩壊し、家族や教育の解体などの深刻な社会問題が生起し、国のあらゆる分野で衰退現象が現出している」と記している。
日本会議のHPに紹介された「日本会議」紹介文は「私たちは、美しい日本の再建と誇りある国づくりのために、政策提言と国民運動を推進する民間団体です」とある。「美しい日本と誇りある国づくり」。安倍総理が当初掲げたテーマそのものだ。
安倍総理にとって、その実現のためには「憲法改正をはかり、愛国心教育をすすめ、自虐的な歴史教育とされる教育の是正」が必須なのだろう。
歴史的事実を認め、その経験を踏まえ、再び誤った道に進まぬようにすることがなぜ自虐的なのか全く理解できないが、安倍総理にとっては「侵略」や「植民地支配」を行った事実は言葉にもしたくないようだ。
国会答弁での歴史認識においても「歴代内閣の立場を継承している」。戦後70年の総理談話においても「村山談話、小泉談話を全体として継承する」と答弁するが、歴史認識のキーワードとされる「侵略」や「植民地支配」は言葉を使わず、回避して答弁する。安倍総理のギリギリの歴史修正への思いが浮かび上がる。
教育における政治的中立の確保は当然守られなければならない。一方で、愛国心を含め、時の政府によって特定の価値観を押し付けることがあってはならない。
戦前の教育は、教育勅語で愛国心を重視し、国家のために死ぬことは最高の美徳と称賛された。そのことが誤った道をさらに拡大することになったのではないのか。歴史が教えてくれた教訓を生かすことこそ大事だ。
今の安倍政権をして、中道・革新系野党だけでなく、自民党の河野洋平元総裁でさえ「保守政治というより、右翼政治みたいな気がする」と言葉にして危惧する。その色彩をどこまで修正できるかは与党公明党、民主党をはじめとした中道、革新系野党、そして、われわれ一般国民の監視なのだろう。
教育は政治的中立の環境が担保される中で行われなければならない。教育行政と小中高校の教育現場を注視することが大切だ。とりわけ自民党がどのような提言を政府に行うのか。「主権者教育」の狙いとその中身を知ることから始めよう。(編集担当:森高龍二)