石破茂地方創生担当大臣がブログで、報道する側も自分自身の考えや自社の考えを示すべきだと、批判勢力は必要としたうえで「批判が予想される。成り行きが注目される的に締めてしまう単なる瓦版的な報道に接すると、言いようのない情けなさを感じる」と、報道は客観的なものであることは当然だが、自らの立ち位置や考えも示すべきとの思いを発信した。
石破大臣は「健全な民主主義の発展のためには批判勢力の存在が必要不可欠であり、我々が報道に対し可能な限り誠実丁寧に接すべきことは当然」としたうえで「自分自身、若しくは自社の考えを何ら示すことなく『あの人がこう言っている』『この人がこう言っている』ということを単に面白おかしく繋ぎ合わせて、最後に『批判が予想される』『成り行きが注目される』的に締めてしまう単なる『瓦版』的な報道に接すると、言いようのない情けなさを感じると共に歎息を禁じえません」と思いを書き込んだ。
報道は事実を伝える役割と読者の判断材料になる情報提供の役割を持つとともに、報道機関としての考えを社であれば「社説」で、記者であれば「コラム」などのコーナーに署名入りで発信している。すべての記事の末尾に記者名を表記するのがよいのだろう。世論を二分するような案件では、事実を伝える記事の後に、記者の意見をサイド記事に付ける方法もある。そうした方が読者にも正確に伝わり易いし、書き手の立ち位置や記事への責任も明確になる。石破大臣がいう、無責任と感じる記事は減るだろう。石破大臣の言わんとするところも理解できる。
石破大臣は「自分の考えをきちんと持ち、報道の使命を認識している尊敬すべき記者さんたちが少なからずいることも事実です。自分が報道関係の職に就かなかった分、そのような人たちに期待するところもまた大なのです」とフォローとも受け取れる書き込みもしていた。(編集担当:森高龍二)