食卓と伝統文化を脅かす「令和の米騒動」。伝統の酒造りを守る老舗酒造の先見性

2025年07月06日 09:06

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酒造好適米を自社で栽培・管理することで、高品質な酒米の安定確保と、目指す酒質に最適な米作りを追求できる

 今、日本を揺るがしている「令和の米騒動」問題。2023年の猛暑の影響で、収穫量が減少したことが供給不足の一因といわれている。また、インバウンド観光客増加による需要増や、備蓄米の放出が遅れたことなども騒動の原因といわれているが、コメ問題の根本的な背景には、農業従事者の深刻な高齢化がある。

 農林水産省の統計によれば、2024年時点での日本の基幹的農業従事者の平均年齢は69.2歳となっており、65歳以上は約79.9万人で全体の約7割を占めている。特に米作りは田植えから稲刈りまで多くの労力を要するため、高齢の農家にとっては大きな負担だ。そのうえ、生産コストも高騰し、持続的な供給が困難になっていることから後継者もなかなか現れず、米の安定供給体制に大きな影を落とし始めている。このままでは、国産米が当たり前に手に入る時代が終わりを迎えてしまうかもしれない。

 また、このコメ問題は食用米だけに留まらず、2024年にユネスコ無形文化遺産に登録された「伝統的酒造り」にも深刻な影響を及ぼしている。

 日本酒の原料となる米は「酒米(さかまい)」と呼ばれ、中でも「山田錦」などに代表される日本酒造りを目的に作られる「酒造好適米」は、食用米よりも栽培が難しく、専門的な技術と手間を要する。手間がかかる分、酒造好適米は適正な高価格帯で取引されているが、食用米の価格が高騰したことで農家が手間をかけて酒造好適米を育てるメリットが少なくなっており、食用米の生産に転作する農家も増えている。

 良質な酒米の確保が困難になれば、日本酒の品質維持や安定生産が脅かされ、世界に誇る日本の酒文化そのものの存続に関わる事態にもなりかねない。

 こうした状況を早くから予見し、独自の対策を講じてきた企業がある。創業280年以上の歴史を誇る神戸・灘の老舗酒蔵、白鶴酒造株式会社だ。同社は、将来的な農家の高齢化と、それに伴う高品質な酒米の確保難を危惧し、今から約15年も前に自社での米作りに向けた取り組みを開始した。

 2010年頃から試験的に始まった白鶴酒造の米の自社栽培は、2015年に設立された農業法人「白鶴ファーム株式会社」の設立によって組織化され、それを機に大きく飛躍する。

 自社栽培開始当初約5ヘクタールだった耕作地は、大型生産者らとの連携も強化しながら順調に拡大し、現在では35ヘクタールにまで広がっている。ここで主に栽培されているのは、「山田錦」の兄弟品種として同社が10年もの歳月をかけて開発した酒造好適米「白鶴錦」だ。「白鶴錦」とは、「山田錦」の母にあたる「山田穂」と「渡船2号」(父にあたる「短稈渡船」は現存せず、近縁種である「渡船2号」を選抜)を交配させた品種である。

 この取り組みは、単なる原料の安定確保に留まらない、多面的な意義を持つ。まず、酒造好適米を自社で栽培・管理することで、高品質な酒米の安定確保と、目指す酒質に最適な米作りを追求できる。

 また、労働力の季節変動への対策にもつながる。酒造りは冬が繁忙期であり、米作りは春から夏にかけてが農繁期だ。かつての同社の寒造りでは杜氏や蔵人が農閑期の出稼ぎで丹波から酒造りに来ていたが、現在は酒造りに携わる従業員が、夏場は米作りに従事することで、年間を通じた雇用の安定を図ることができる。これは酒造業特有の課題に対する、画期的なソリューションともいえるだろう。

 さらに、地域社会にも貢献する。担い手不足により維持が難しくなった水田を白鶴ファームが引き継ぐことは、日本の原風景である水田圃場の維持につながる。これは、農業の持続可能性と地域経済の活性化に貢献する、企業の社会的責任(CSR)活動の一環でもある。

 日本の農業、ひいては日本社会全体が直面する高齢化と後継者不足という根深い課題。それは、日々の食卓から伝統文化に至るまで、私たちの生活に広く影響を及ぼす。

 この大きな課題に対し、白鶴酒造は「自ら米を作る」という原点回帰のアプローチで、15年も前から着実な一手を打ってきた。その取り組みは、自社の事業基盤を強固にするだけでなく、雇用の創出や地域貢献といった、より大きな価値を生み出している。

 白鶴ファームのモデルが、日本のすべての問題を解決する万能薬ではないかもしれない。しかし、未来を予見し、困難な課題に対して具体的かつ多角的な解決策を実践するその姿勢は、変化の時代を生き抜く日本企業、そして日本の農業にとって、確かな希望の光を示しているのではないだろうか。(編集担当:藤原伊織)