日韓・日中関係は麻生太郎副総理や閣僚による靖国神社参拝、安倍晋三総理の村山談話見直し発言など、従前の日本政府の歴史観を安倍政権が否定するかの疑義を持たれる言動により、外交上、マイナス要因になっている。北朝鮮問題で日中韓3カ国の連携強化が特に重要な時期にもかかわらず、一連の言動が3カ国首脳会談の時期を遠ざけてしまったことも否めない。
米国連邦議会調査局は今回の歴史認識問題が「アジアの安定にとって懸念される」と憂慮している。岸田文雄外務大臣は10日、「調査局の報告書は米国政府の公式見解でない」としたが、憂慮される事態が生じていることは否定しようのない事実であり、歴史認識においては、これまでの歴代政府見解と全く変わりないことを誠実に伝えていく外交努力が特に必要だ。
安倍政権は歴史認識について「歴代内閣の立場を引き継ぐ」(岸田外務大臣、菅義偉官房長官ら)としながらも、村山談話が「侵略と植民地支配に対するお詫び」の姿勢を鮮明にしたのに対し「侵略」については安倍総理の本音は使いたくないようだ。記者団から「侵略行為があったのか、なかったのか。言明しないのか」の問いには、ことさらに安倍政権の閣僚は「従来の内閣と立場は変わっていない」と繰り返すばかり。「侵略」のことばの使用は回避している。
岸田外務大臣も10日、歴史認識について「わが国がかつて多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多くの損害と苦痛を与えた」とし「安倍内閣として、歴代内閣の立場を引き継ぐ考えだ」と菅官房長官が示した見解と同様に、安倍内閣の姿勢を強調したが、侵略の言葉は使用を避けた。
そのうえで「韓国、中国をはじめとする近隣の国々は日本にとって重要なパートナーであり、関係強化に引き続き努力していく。地域の平和と繁栄に積極的に貢献していきたい。そのことを内外に理解してもらえるように引き続き説明していく」と苦慮した。
タカ派の総理。歴史は歴史として「侵略」行為も含め、これを認め、そのうえでアジア、世界をリードする日本としてのあり様をアピールしていけば良いのではないか。過去の過ちを認めたことで日本の教育が歪んだり、誇りの持てない国として教育に悪影響を及ぼすとは思えない。非を非として認め、繰り返さぬ決意を示すことの方が余程、見識のある教育になろう。
タカ派姿勢で懸念される要素が、国家の安全保障の構成要素に占める実力(武力、軍備)への依存重視傾向だ。これまでの政府は対話による平和外交を最重視してきた。対話の背景に武力をちらつかせるような、恐持ての駆け引きは避けてきた。しかし、「日米同盟の深化」が「日米の同化」になるのではないかと思われる動きが安倍政権発足以来、加速している。
憲法96条(改正手続き)の改正で改憲手続きを緩める動き。その向こうにある憲法9条(戦争の放棄)の改正。自衛隊から国防軍への動き。自衛隊の存在が海外から軍隊と認識されているにもかかわらず、現行憲法下では軍隊でないとしなければならないあやふやな位置づけにあるため、実態にあった内容に改憲すべきという論理。これこそ、既成事実をどんどん重ねればOKという歯止めなき状態に陥る危険がある。
憲法9条の歯止めがある中でも、外国から軍隊とされる存在に肥大化した現状がある。その怖さこそ認識すべきだろう。一方で、現行の自衛隊を違憲として批判する国民はいないだろう。公明党の山口那津男代表が自衛隊を国防軍にする必要性について疑問を提起しているが、山口代表の提起に同調する国民の方が安倍総理の国防軍改編への同調者より多いように感じるのは私だけだろうか。次期、参議院選挙では争点のひとつに位置づけるべきだ。
加えて、改憲を待たずに集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲への取り組みは特に注視すべき喫緊の問題だろう。あってはならないことだが、北朝鮮がアメリカにむけて発射したミサイルを集団的自衛権行使容認の解釈改憲の下で、日本が自国への攻撃とみなしうる関係性においてこれを撃ち落せば、米国ではなく日本が戦争当事者になる。
山口代表が集団的自衛権はあるが、行使できないとしてきた歴代政府の解釈は妥当で、これを行使を認めれば歯止めがなくなると、慎重な議論の必要を提起しているが、正論と思われる。議論すべきだが、結論ありきの議論は避けなければならない。
戦後、日本の安全保障外交は憲法を遵守しながら、その中での防衛力整備であり、外交政策であった。日米安保条約の下での日本の安全保障を軸に考えなければならないが、日米同盟の深化促進のために憲法をゆがめて深化促進を図るのではなく、日本が基軸にしてきた憲法の下に深化を図る姿勢について米国に一層の理解を図ることが近隣諸国はじめ世界の中での信頼を勝ち取る道だろう。米国との同化、必要以上の実力装備、過去の歴史での侵略行為への否定的姿勢は近隣諸国との連携阻害要因になるばかりでなく、日本の安全をかえって不安定な状況にすると危惧する。軍備を背景としない「対話による安全保障外交」が求められているといえよう。(編集担当:森高龍二)