「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」。
憲法改正についてナチスを手本にしてはどうかと受けとられても仕方のない麻生太郎副総理の発言。麻生氏は「誤解を招いた」とナチスを例にあげた部分を撤回した。
問題になった発言は7月29日の国家基本問題研究所「月例研究会」での発言。国内外から批判が相次いだ。麻生副総理は「ワーワー騒がないで、本当に、みんな良い憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。是非、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりは全くありませんが、喧騒の中で決めてほしくない」とした。
そして、一連の発言に、麻生副総理は発言撤回コメントで「憲法改正は落ち着いて議論することが極めて重要と考えている。この点を強調する趣旨で、喧騒にまぎれて十分な国民的理解、議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげた」と釈明した。
「ナチス及びワイマール憲法に係る経緯について極めて否定的に捉えていることは発言全体から明らか」ともしている。
発言の趣旨は静かに、落ち着いて議論を深めるべきとのようだが、7月29日の月例研究会での発言では憲法改正や憲法に対する国民への示唆に富んだ中身にもなっていた。それは、以下の部分だ。
麻生副総理は「ヒトラーは軍事力で政権をとったように思われるが、選挙で選ばれた。国民はヒトラーを選んだ」「当時、ヨーロッパでもっとも進んだワイマール憲法下にあって、ヒトラーが出てきた」「常に憲法は良くても、そういうことはありうるということ。よくよく頭に入れておかないといけないところ」。
つまり、国民の代表としてだれを国会に送るか、政権をどこに任せるか。その責任は常に有権者である国民ひとり一人が負っているということを示唆している発言にもなっている。
麻生副総理は「憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けているが、どう運営していくかは、かかって皆さんが投票する議員の行動であったり、その人たちが持っている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく」と語り、議員を選ぶ有権者の責任と議員の質の問題を提示していた。
また麻生副総理は感情による喧騒な議論でなく、憲法改正を現実的で、冷静な議論の中で喧々諤々、行うべきだと言いたかったのだという。
自民党の憲法改正草案づくりでは「喧々諤々やりあったが、30人いようと40人いようと極めて静かに対応してきた」。「怒鳴りあいもなく、『ちょっと待ってください。違うんじゃないですか』というと『そうか。そういう考え方もあるんだな』と」。自民の部会は聞く耳を持って議論が進んできたということを示し、与野党議員が、国民が、互いに互いの意見を真摯に聞き、熟議し、成案を目指していくことの重要性を提示したのだろう。
麻生副総理の発言。ワイマール憲法からナチス憲法への経緯について「みんな良い憲法、みんな納得して、あの憲法変わっているからね」。「当時、ヨーロッパでもっとも進んだワイマール憲法下にあって、ヒトラーが出てきた」「常に憲法は良くても、そういうことはありうるということ。よくよく頭に入れておかないといけないところ」。
さて、この言葉。現行憲法を評価する立場から理解してみたいのだが、日本国民は現行の平和憲法の下で世界平和を希求し、武力や軍事力を背景とせず平和的外交手段で自国防衛を図ってきた。憲法9条(戦争の放棄)が現実的でないという考えがある一方で、9条があったからこそ、日本は世界から信頼される路線を歩み続けているとの考えがあり、わたしはその立場を支持しているひとりだが。
優れた憲法下にあっても、国民の選択(選挙権行使)のあり様で、国のあり様の根本を定める「憲法」も大きく変わる。「よくよく頭に入れておかないといけない」ということだ。
総選挙に続き、参院選での自民圧勝。これを受けての集団的自衛権の行使に対する解釈変更が安倍政権で行われようとしている。これまでの政府解釈は集団的自衛権については「権利を有するが行使できない」であった。安倍政権は「行使できる」と変更したい考えで、公明党は「行使を認めれば歯止めがなくなる」として、「これまでの政府解釈を妥当」とする。
同じ与党の公明党に解釈変更の抑止を期待するほかない状況だ。これもまた、有権者が選択してきた結果ではある。常に最終責任は国会議員を選ぶ有権者にあることを忘れてはいけない。白紙委任状を渡しているわけではない。(編集担当:森高龍二)