「能力が欠如している」と批判を受けても何もできない東電の危機管理能力の中身

2013年08月27日 18:10

 福島第一原子力発電所の汚染水が海に流出している問題で、東京電力<9501>の危機管理能力の欠如が批判を浴びている。汚染水を貯蔵するタンクの管理記録がなかったり、現場の工事をすべて業者任せにしていたり、といったことが次々と明るみに出ている。

 ただ、東電をよく知る人々のなかには、これが同社の危機管理の基本姿勢だと冷静に受け止める向きも少なくない。元東電社員が語る。「昔の東電には、不祥事があってもすべて丸く収めるだけの力があった」。

 たとえば、工事現場で作業員の死亡事故が発生した場合。責任はすべて、雇用した建設会社が負ったという。東電にはまったく責任がないというかたちで事故は処理されたそうだ。

 このとき、遺族に支払われる賠償金の額は平均5億円。上場企業のサラリーマンの生涯年収がバブル前で3億円と言われていたことを考えると、かなりの高額だが、これにはからくりがあったと元社員は説明する。「賠償金は全額、東電から建設会社を経由して遺族に支払われる仕組みだった」。

 また、すべての責任を負わされた建設会社にとっても、「東電は、赤字受注など考えなくて済むよいお客さん。むしろ、恩を売ることでその後の受注にもプラスになった」(元社員)。

 知る人ぞ知るこんな有名なエピソードもある。東電は、総会屋まがいの情報誌などにもきっちりと広告を出す。しかも、危険性が高いと判断したケースでは、最初の対応はトップである社長が直接面談する。それだけの手厚い対応ですべてを丸く収める。

 これが、東電独特の“危機管理”だった。

 こんなことができたのも、市場を独占しているうえに、総括原価という、基本的に絶対に赤字が出ないビジネスができたためだ。いくらおカネがかかっても、消費者からの料金で穴埋めできたわけだ。

 今回、批判を浴びている件も、過去の東電ならば、いくらでも業者のせいにして口をつぐむことができただろう。しかし、今の東電には、それだけの金銭的な余裕がない。しかし、社内で長年“培った”危機管理体制だけは、そう簡単に変えることができない。

 社会通念上はこれを「危機管理体制の欠如」と呼ぶ。しかし、東電内部では、それが分からない。