国民の多くが疑問視した「新国立競技場の建設計画」に「ゼロベースで計画見直し」を決断した安倍晋三総理だが、集団的自衛権行使容認を含む、安保法案には、世論を敵に回してでも強く今国会での成立にこだわっている。
集団的自衛権の行使容認にそこまでこだわる理由を探した。日本を取り巻く安全保障環境の変化だけではない、安倍総理の個人的考えも背景にあった。
第1は「日米安保条約への総理の認識」。第2は米国側に軍事色の強い安全保障上の役割を日本に担ってほしいとの期待。第3に国連PKO活動での武器使用を含む各国と遜色ない貢献。
ただし第3のPKO活動での武器使用について、安倍総理は「一般市民を暴力から守る、いわば警察官としての活動で、切迫する暴力から住民を保護することを目的に必要最小限度の範囲で行われるもので、正当防衛・緊急避難以外の状況では人に危害を与えることもできない。安全確保のための活動は5原則が満たされる場合に実施できる」と語る。これを踏まえて3点を見た。
第1点。日米安保条約。安倍総理は共著『この国を守る決意』(扶桑社、2004年、岡崎久彦氏と共著)で日米安保条約の双務性を高めるには『具体的には集団的自衛権の行使だと思う』と語っている。総理は日米安保条約の片務性を解消したいのだ。
現行の日米安保条約は日本が攻撃された場合、米国には日本を守る責任がある。日本は米国を守らない代わりに米軍に土地(基地)を提供している。集団的自衛権が行使できない憲法上の制約があるため、米国が攻撃されたとき日本(自衛隊)には米国を守る責任はない。
安倍総理は「われわれには新たな責任がある。日米安保条約を堂々たる双務性にするということです」と語る。
言い換え表現では「日本がもし、外敵から攻撃を受ければアメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈の下では、日本の自衛隊は少なくともアメリカが攻撃された時に血を流すことはない訳です。実際、そういう事態になる可能性は少ないのですが、これで完全なイコールパートナーと言えるのでしょうか」と双務性を強く意識している。日米安保条約は過去の日英同盟や日独伊3国同盟のような軍事同盟ではない。片務性にこだわる必要などないはずだが、安倍総理はこれにこだわっている。
第2、アメリカの意識はどうか。防衛庁防衛研究所研究室長だった近藤重克氏は2003年当時に「新しい国際環境下の日米同盟関係(戦略対話の必要とその前提条件)」とのレポートで「憲法による制約を理由に、日本が軍事色の強い安全保障上の役割を担うことに消極的なことは米国に不満を抱かせる要因になっている」と提起していた。
近藤氏は「アーミテージ・ナイ・レポートで明確に示されている」とし『日本の集団的自衛権行使の禁止は同盟協力を制約している。この禁止を取り除くことは、より緊密で、より効果的な安全保障協力を可能にするだろう。これは日本国民のみが下すことのできる決定である』としていることを紹介。
また『米国は、日本の安全保障政策の性格を形成する国内的な決定を尊重してきたし、今後もそうし続けるであろう。しかし、米国は日本がより大きな貢献を進んで行い、より対等な同盟パートナーになることを歓迎することを明確にしなければならない』としており、集団的自衛権が行使できる「軍事同盟」関係を提起していたと思われる。
レポートは「日本がどういう形であれ、憲法上の問題を早く解決することによって、米国の同盟パートナーとして、安全保障上の国際的役割をもっと積極的に果たすことを求めている。日本は、米国との同盟関係とそれをめぐる憲法上の問題を、同盟関係が東アジアの安全保障にとって国際公共財的な性格を帯びているという視角から考えることが必要」と提起した。
米国内では朝鮮半島有事や台湾海峡有事に自衛隊が米軍とともに行動できる環境へ、集団的自衛権が行使できる国になることを期待する声が超党派で20年も前から存在しているという報道もある。
安倍総理はこうした米国事情を知っているし、総理に返り咲いた直後に訪米し、オバマ大統領との会談で集団的自衛権について見直す考えを伝えた。日米安保条約の双務性を高めるという自身の思いと集団的自衛権が行使できないという自身にとっての問題解決へ踏み出したのだろう。