17日で阪神淡路大震災から22年を迎えた。1995年1月17日の午前5時46分、明石海峡を震源としたM7.3の地震は兵庫を中心として近畿圏に甚大な被害をもたらし、6434名もの貴い命を奪った。
壊滅的な被害を受けた神戸市三宮の東遊園地では「阪神淡路大震災1.17のつどい」が開かれ、約4700名が参加。竹灯篭7000本に火が灯され、「1.17」という文字を象った。地震が発生した午前5時46分には参加者が犠牲者に対して黙祷を捧げた。昨年は熊本地震が発生し、未だ苦しい生活を余儀なくされている被災者に光が指すようにという願いも込められている。
震災後、犠牲者を追悼し、教訓を後世に伝えるために造られた西宮震災記念碑公園でも追悼行事が行われ、約200が参加。犠牲者の名前が彫られた石碑の前で花を備え、手を合わせ、同じく午前5時46分には参加者全員が犠牲者を追悼するため黙祷を捧げた。
和歌山県にある高野山真言宗・総本山金剛峯寺では震災の翌年に参道脇に犠牲者の慰霊碑を建て、97年から毎年1月17日には「物故者追悼法会」が開かれている。今年は僧侶ら30人が読経し、遺族が焼香し犠牲者を追悼した。
未だ遺族の心が癒えぬ中、震災を体験してない世代も増えてきた。災害の教訓を後世に伝えるため、学校を中心に各地で講演も行われた。西宮市の仁川学院では17日に東日本大震災のときに被災した宮城県女川町立女川小学校長の阿部清司さんが247名の生徒に災害時の体験を語った。宝塚市の県立宝塚東高校では16日に宮城県仙台二華中学校・高校の中澤宏一副校長を招き970名の生徒が防災講習会に参加。当時の写真や動画を用い、当時の悲惨な様子を伝えた。
まるで昨日のように感じられるが、早発生から22年。阪神淡路大震災以降も新潟中越地震や東日本大震災、熊本地震など日本各地で震災が発生し、多くの貴い命が犠牲となった。いつどこで起こるかわからない地震。あらためて震災が起きたらどうすべきか、あらためて考えなおしてみよう。(編集担当:久保田雄城)