野田政権は「2030年代に原発稼動ゼロを可能にする社会をめざす」としている。そのため「あらゆる政策資源を投入する」という。
一方で、それまでの間、安全性が確認された原発は重要な電源として活用すると原発にかわるエネルギー供給体制が整うまでの間、原発活用を堂々表明する。
一見、合理的なようだが、腹をくくって徹底する本気度が見えなくなってしまう対応だ。
この夏、関西電力大飯原発3号機、4号機の再稼動を除いて、原発に依存せずとも乗り切れた。その経験(実績)が原発ゼロ社会に直結する政策にならなければ原発稼動ゼロは延び延びにされるだろう。
総理は「方針はブレない」と強調する。だが、その言葉は空虚だ。最大の理由は9月19日の閣議決定にある。
9月19日の閣議決定。「今後のエネルギー・環境政策については『革新的エネルギー・環境戦略』(同月14日のエネルギー・環境会議決定)を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という、八方美人で、何も確定的でないものに成り下がった。
大枠の方針は原発ゼロを可能にする社会をめざすこととしたが、「柔軟性を持って、不断の検証と見直しを行いながら」後退することだってある。
財界や米国が何を言おうと、東電福島第一原発事故の悲惨さをみれば、原発ゼロを最優先し後押しする国民の過半の支持を信じるべきだ。
「2030年代に原発ゼロ社会を実現させる」との確固たる信念を閣議決定し、内外に示すことこそ、野田内閣しかできないことかもしれないし、国民の信頼回復の切り札になる可能性もある。
経済界・財界から雇用が維持できなくなる、現実的でないと集中批判を浴び、米国の懸念に屈した閣議決定の文言。野田内閣はスカッと、国民を信じて原発ゼロの目標を閣議決定すべきだ。
革新的エネルギー・環境戦略会議で決めた3原則「(1)原発は40年運転制限を厳格に適用する(2)原子力規制委員会の安全確認を得たものののみ再稼動とする(3)原発の新設・増設は行わない」も法的裏づけがない原則だ。
政権が変わればどうなるのだろう。いかなる政権になろうとも安易に見直されない法的拘束力と国民への担保を野田政権は確保しておくべきだろう。
2039年まで27年しかない。原発はすでに建設認可されたものについては建設することができる。数年後に完成したとして、それから40年間は稼動が約束されるか。資源・エネルギー庁関係者は「40年を保障するものではない」と語る。一方で「2039年を超えて、稼動してはいけないというものでもない」とも。「まさに、事情に応じた不断の見直しになる」。こんなあいまいさでは原発ゼロ社会が延び延びにされてしまう。それは延び延びにならないように担保するものがないからだ。だから閣議決定だけでもすべきなのだ。
また、原発再稼動についてはどうか。藤村修官房長官は再稼動判断のために「閣僚会合などは現時点では考えていない」と語った。原子力規制委員会の安全性確認を再稼動の最大関門に位置づけたといっていい。
藤村官房長官はエネルギー需給が原発に依存しなくていい環境になれば、原発再稼動の認可申請が電力事業者から出され、安全性が確認されても、再稼動しないような「歯止めの仕組みを今後、検討していくことになると思う」とした。
エネルギー需給が原発に依存しなくていい環境になればとは何時なのか、今夏の実績をみれば、国民あげて取り組めば遠くない時期といえるかもしれない。これは国民意識の問題かもしれない。そして、歯止めの仕組みづくりは原発ゼロをめざすという政府の本気度を表すものになるといえよう。それこそが、先延ばしせずにやるべきことだ。(編集担当:森高龍二)