自動運転に格差、日米の意識の差とは

2018年06月07日 06:45

画・自動運転に格差、日米の意識の差とは

世界的に研究開発が進む自動運転だが、日本とアメリカとではドライバーの意識に違いがある。アメリカでは「怖くて乗れない」という人が7割いるという。

 自動運転は、今や日本の自動車産業にとっては至上命題といえる課題かもしれない。かつて自動車産業といえば世界的に見ても日本の独壇場であり、日本製の自動車は高品質であるということの象徴でもあった。しかし、自動運転という分野においては日本企業は軒並み海外に後れを取っているといわれている。公道を利用した自動運転の実証実験も日本では積極的に行われるようになっており、少しでも後れを取り戻そうとしていることがよくわかる。

 また、日本では政府が道路交通法の改正についての検討に入った。人間が自動車を運転するということを前提とした法律の見直しを2020年までに進めるという方針だ。基本的には自動運転だが緊急時には人間の運転手が操作をするといった仕組みに対して法的な根拠を与えることが目的だ。政府の掲げる目標では、こうした仕組みで動く自動運転車を国内の新車販売の3割以上にするというものがある。実は欧州では自動運転のルールづくりにおいては先行しており、日本もできるだけ早い段階でルールを策定し追いつきたい構えだ。

 それに対して日本と同じく自動車大国のアメリカではどうだろうか。アメリカでも自動運転の研究開発は積極的に行われているものの、実際に運転するドライバーからはおよそ7割が反発しているという。これは、アメリカで行われている自動運転の実証実験の結果事故が相次いでいるということから、それに対して「怖くて乗れない」という回答が多くなっている。積極的に自動運転の研究開発を進め、普及を推進している日本とは異なるアメリカの現状が浮き彫りとなった。

 もっとも、このアメリカのドライバーからの「怖くて乗れない」という回答の背景には、アメリカと日本の自動車事情の違いも関係しているかもしれない。日本の場合は自動運転は運送業や農業といった分野で活用が期待されている。つまり、人間に代わる新たな労働力としての期待だ。それに対してアメリカの場合は「普段使い」としての日常生活の足として期待されている。もちろん日本でも日常生活に対しての実用化も不可欠ではあるのだが、自動運転の研究開発に対してどこにリソースをつぎ込むかということについてはやはり違いがあるということだろう。そして、それこそが日本とアメリカにおける自動運転に対しての温度差の違いということかもしれない。(編集担当:久保田雄城)