政府は選挙応援遊説先の奈良市内での演説中に銃殺された安倍晋三元総理を「国葬儀」で追悼することを22日、閣議決定した。松野博一官房長官は「9月27日(火曜)、日本武道館で、無宗教形式でかつ簡素に厳粛に催行する」と発表した。国葬当日「休日にすることも政府として検討していない」とした。
国内では国葬に賛否が分かれており、官邸前で「国葬反対」のシュプレヒコールが起こる事態を見るにつけ、佐藤栄作元総理の追悼を「国民葬」とし、政治利用を避け、国民間の摩擦を回避した当時の三木武夫総理の思慮の深さ、賢明さが今になって思い起こされる。
岸田文雄総理は国葬儀について(1)憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために総理の重責を担われた(2)東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残された(3)外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受け、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、蛮行により逝去されたもので、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられているとした。
あわせて(4)国葬儀を執り行うことで追悼とともに、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示す(5)活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたい、と外交戦略に使うかのような発言もしている。
(4)と(5)は明らかに安倍氏の不幸な死を政治利用しているとの批判は免れないだろう。国葬が安倍氏の政治的業績を称えるものなのか、人柄をしのぶものなのか、明確ではない。
ただ、松野博一官房長官は22日の記者会見で「国葬儀は儀式として行われるもので、戦前の『国葬令に基づく国葬』のように、国民一般に喪に服することを求めるものではない」と明言。
また「国民1人1人に政治的評価や喪に服することを求めるものではない」と国葬が安倍元総理への政治的評価を強制することになるものでも、喪に服することを求めるものではないと強調した。そうだとすれば「人柄をしのぶ性質での国の儀式」という色合いが濃いのだろうか。
一方で、岸田総理は(1)(2)で業績を評価しての色合いも強調。安倍氏が8年8か月総理を務めたことは憲政史上最長だが、「国民葬」で追悼した佐藤栄作元総理は7年8か月と在任期間こそ1年短いが、(A)平和的な話し合いにより『沖縄返還を実現』させた(B)被爆国としての国の立ち位置を世界に知らしめる『非核3原則』を打ち立てた(C)日本人として初めて『ノーベル平和賞』を授賞した。
安倍氏はこの功績以上と言えるのか、業績を称えた国葬の儀であれば、間違いなく賛否割れることになろう。政府は、この国葬の儀がどのような性質のものなのかを国民に示し、理解を得てゆくことが必要だ。
あわせて、今回の「国葬」は1968年(昭和43年)に政府の水田三喜男大蔵大臣が「国葬の儀には法令の根拠がございません」と政府見解を明確に示している。
従って2001年(平成13年)施行の内閣府設置法第4条3の33号(国の儀式)を根拠とする以上は国葬が可能な根拠になり得るのか、法制局として根拠を裏付ける資料(法制局審査資料)を国民の前に開示することが必要だ。
いずれにしても、国葬の儀には国民葬と異なり、「政治的意味が生じる」ことは否定できない。
1975年(昭和50年)佐藤栄作元総理の葬儀をどう扱うかが審議され、政府(内閣)、自民党、国民有志による「国民葬」に落ち着いた背景を伝えた朝日新聞1975年6月3日夕刊によると、(1)国葬とする場合、衆参両院議長、最高裁長官、行政府の長(総理)、すなわち三権の長の協議が必要(2)野党に国葬への抵抗があり、押し切るのは無理だった(3)吉田茂元総理の国葬があった際「これを先例としない」との了解があったことを柱にあげる。つまり、閣議決定のみの葬儀は「内閣葬」に過ぎないこととなる。
岸田総理は「それで良し」とするのであれば、国葬当日、官公庁の半日休みや民間の演劇、コンサートなどの自粛、弔旗掲揚の要請、全国一斉黙とうなどといった憲法に抵触しそうな愚かな要請はしないこと。「戦前の『国葬令に基づく国葬』のように、国民一般に喪に服することを求めるものではない」(松野官房長官)ことを徹底することが必要だ。
そうした対応がなければ安保法制のあの時のようなデモ行進を含む国論2分の不幸な事態が9月27日まで、故人の追悼の在り方を巡って起こりかねない。故人や遺族のためにもそれは回避する賢明さが岸田総理に求められよう。国民に理解を得るための対応をきっちりと、はぐらかすことなく行うことが必要。松野官房長官は「国民1人1人に政治的評価や喪に服することを求めるものではない。引き続き、こうした点についてしっかりと説明していきたい」と繰り返し語った。丁寧に説明していくとの政府の対応を注視していきたい。(編集担当:森高龍二)