自衛官の宣誓と国民負託

2013年07月21日 16:39

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自衛官が自衛隊に入隊するときの宣誓文言。この宣誓がいざというとき信用できないから担保する必要があるという旨の自民党幹事長・石破茂氏の発言が物議を醸している。

 「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責任の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」。

 自衛官が自衛隊に入隊するときの宣誓文言。この宣誓がいざというとき信用できないから担保する必要があるという旨の自民党幹事長・石破茂氏の発言が物議を醸している。

 自民党の憲法改正草案は自衛隊を「国防軍」に、国防軍には「軍事審判所」を置くとしている。軍事審判所は軍事法廷のこと。石破幹事長は「審判は非公開」と断言し、「軍事法廷は全て軍の規律を維持するためのもの」とも断言している。

 「軍の規律が全てである」とすれば、被告人の言動が社会通念上、正しいか正しくないかではなく、軍の規律を乱すものであるかないかで判断される。しかも、非公開で「自民党は裁判官・検察官・弁護人は軍人を想定しているとしており、秘密裁判にするという点は大問題」と野党党首らから批判があがる。

 石破幹事長は「法廷はすべて軍の規律を維持するためのもの」としているが、「帝国憲法下での軍事法廷はどうであったかを検証する必要もある」「何でも秘密にやってしまうということは致しません。それは基本的人権に抵触するものだからです」とも述べ、「公開はしませんといいながら、何でも秘密にやってしまうことは致しません」とはどういうことなのか。難しい部分だが、法廷のあり方に慎重な姿勢をうかがわせる部分でもある。

 また、自民党憲法改正草案では「被告人は裁判所へ上訴する権利は保障されなければならない」という文言規定があり、上訴について触れている。しかし「保障する」と断定していない文言には議論の余地が残されている。

 ともかく、自衛隊から国防軍、軍事審判所に対する石破幹事長の発言がネット上でも関心を集めるのは当然で、発言の発端は民放番組(4月21日放映・週刊BS-TBS報道部)で憲法9条(戦争の放棄)にかかわり語った自衛隊員への指揮命令に対する服務や国防軍・軍事審判所についてのものだった。

 自衛隊員が国家・国民の危機に生命をかけて身を投じるのは自衛隊に入隊すれば当然の話しで、その覚悟は国家・国民を守る使命感やプライドにもなっていると思う。

 石破幹事長はその入隊時の宣誓について「わたしは(上官の)そんな命令には従わないといえば、(自衛隊法では)目いっぱいで懲役7年」とし「人間って、やはり死にたくないし、怪我もしたくない。だから、これは国家を守るためだ、出動せよと言われたときに、死ぬかも知れないし、行きたくないなと思う人はいないという保証はどこにもない」と語り、「だから、そのときに、それに従え。それに従わなければ、その国の最高刑である死刑のある国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年、そんな目に遭うぐらいなら命令に従おうということになる」と国防軍と軍事審判所が、国家・国民の危機の時、まさに担保になる旨を主張した。

 石破幹事長は「人間性の本質に目をそむけてはいけない」と語った。「今の自衛官らは服務の宣誓をし、事に臨んでは危険を顧みず、身を持って責務の完遂に努める、持って国民の負託にこたえるとの誓いをして自衛官になっている。しかし、彼らのその誓いだけがよすがなのだ。ほんとにそれでいいですかっていうのは問わなければならない」と担保力が脆弱だと提起している。

 しかし、この発言は自衛官に不信感を持っているということではないのか。彼らの宣誓を信頼してこその「自衛隊」であるはずなのだが。防衛大臣経験者が発した言葉だけに、自衛隊員らがどのように受け止めるか。自衛隊員のこれまでの活動を高く評価しながら、根底で「人間の本質」から信用できないという発想はやはり信頼関係にひびが入りかねない発言だろう。

 自衛官は自らの意思で選んだ職であり、法によって強制的に兵役につく徴兵制によるものではない。ゆえに、宣誓は自らの意思で行っているのであり、その意思は信じられるべき尊いものとして受け止めるべきなのである。

 ところで、安倍晋三総理は憲法改正においても徴兵制はとれないとの認識を示している。憲法改正草案においても第18条2項において「何人も犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない」と苦役からの自由を保障しているからだという。

 しかし、憲法改正草案前文において「国民は国と郷土を自ら守り」、9条3項の「国は国民と協力して、領土・領海および領空を保全し、その資源を確保しなければならない」。12条(国民の責務)においての「自由及び権利には責任および義務を伴うことを自覚し、常に、公益及び公の秩序に反してはならない」と規定されており、定義が明確にされていない「公益」や「公の秩序」のもとに国民の権利や自由が制限される可能性は残る。

 また、緊急事態宣言下においても憲法改正草案は「18条はじめ19条(思想・良心の自由)、19条の2(個人情報の不当取得の禁止など)、21条(表現の自由)の規定は最大限に尊重されなければならない」としているが、緊急事態下で法律に基づき徴兵制度がとられた場合、苦役を強いることが合法になることは明らかだろう。

 安倍総理は基本的人権の規定からも徴兵制はとれないとするが、これらの懸念を払拭する明確な説明を自民党は示すべきだろう。徴兵制はないという明らかな担保が必要だ。

 これとあわせて、必要なのは文民統制への信頼だ。石破幹事長は「国民に不安を抱かせるようなことはあってはならない。文民統制というものをいかに確立し、軍隊が戦争を起こさないための抑止力としての組織なのだということをどれだけ文民統制として担保するか、自衛隊法を一回も読んだことがありません、戦闘機で何ができるかも知りません、防衛省設置法も読んだことがありません、何だか大変そうだけど、みなさんお願いねでは文民統制にならない。国民の不安を払拭するためには私たちが文民統制をよく理解して、ひとりひとりに、国民は憲法9条さえあれば平和だと思っている、困ったものだねなんていわないで、こちらから語りかける努力をしていかなければいけない」と総括するような発言をしているが、憲法9条の改正は国家のあり様、徴兵制に及ぶ議論の余地も否定しきれず、今後、長い年月をかけて議論を尽くしていくべき「憲法最大の条項」といわなければならない。

 あわせて、自衛官の「宣誓」は文言どおり、自衛官が誠実に履行・完遂するものと国民の誰もが信じ、まさに国家・国民の安全について負託しているのだという認識を国民も自衛官も共有していることを強調したい。憲法問題が国民生活にかかわる直接的な問題として身近に議論され始めたのは改憲勢力が増した衆議院選挙からだ。憲法問題は大きな課題だけに、まさに国民的関心と議論の広がりに注視する必要がある。(編集担当:森高龍二)