ブラジル人を理解するにはステレオタイプのイメージは捨てるべき

2014年06月17日 12:25

 ついにサッカー・ワールドカップが開幕した。日本対コートジボワールは残念ながら、日本は負けてしまったが、レシフェのアレーナ・ペルナンブコには多くのブラジル人が訪れた。日本のユニフォームやブラジルのユニフォーム、自分たちが応援するブラジルチームのユニフォームを着た人々でポルトガル語に溢れた会場。4万人が観戦したうちの大半を占めていたのではないか。

 一方、ワールドカップが始まってもデモは収まらない。世界最大のイベントであり、国技ともいえるスポーツのイベントなのにである。日本では考えられないというか日本人には考えられないことだろう。「国のため」「大事なイベントのため」という気持ちや泥を塗ってはだめだという心意気はそもそも感じられない。

 いったいどんな国民なのか。様々な顔を見せるブラジル人。ブラジルの国民性として、よく言われるのがおおらかだということだ。陽気な人が多く、気さくで、明るく、笑顔を絶やさないということもよく言われるし、実際そうだろう。また、声が大きく、とにかく喋る。日本のように相手を見て行動を取ったり、考えてから行動をしたりしない。他方、感情が豊かで、表現も豊かそうである。相対的に比較すると性格は派手だけど、愛情にあふれて、心優しいが、行動のスピードは日本より遅く、時間や数字にはいい加減で、パーティ好きで人々が交流するのが好きという感じだろうか。普段言われていることと筆者の印象をまとめるとそんな感じだ。

 筆者の友人が今、ワールドカップ観戦の為、ブラジルにいるのだが、彼はステレオタイプとは違ったブラジル人の新しい国民性に最近気づいてしまったという。道を聞くと、ブラジル人は「知らない」と言いたくないらしく、道を必ず教える。しかし、その先が必ずしも正しいわけではない。いったいどういうことか。よくよく聞くと、助けたという事実が大切であって、聞いた人がちゃんと辿り着けるかどうかより、自分が助けようとしたということが大切なのだそうだ。優しい行動をしたい、自分を納得して見せたい、その先の正しさよりも自分の行動が重要、ある意味自分本位ともいえる。そのような国民性が今回のデモを引き起こしているのかもしれない。

 国民性のようなものは、そもそも相対的なものだし、ひとくくりにすると大事なものを見失ってしまうことがある。2億人弱のブラジル人は顔つきも肌の色も表情も体格も言動も行動も多様である。ひとくくりにすることでその魅力を減じてしまうだろう。「今日の災いは明日のジョークになる」というブラジルの格言通り、毎日を地球の裏側でしっかり生きているブラジル人。ブラジル人のイメージを決めつけないで、あなたの近くにいるブラジル人と触れ合うのもいいだろう。日本にもブラジル人は18万人もいるのだから。(編集担当:久保田雄城)