「幽霊が怖いからか。それしか考えられない」。野田佳彦前首相は7月29日の内外情勢調査会での講演で、安倍晋三首相が首相官邸に隣接する公邸に住まず、東京・富ケ谷の私邸を生活拠点にしていることについて、こう揶揄(やゆ)した。当の野田氏は、首相在任中は家族で公邸に住んでいたが、「時折、家内が『キャー』と声を上げたが、ゴキブリがよく出たから。幽霊は見なかった」と証言した。その上で「災害や領海侵犯などに適切に指示を出すのがトップの仕事。公邸に住むことが最大の危機管理だ」と強調した。
実は首相官邸に幽霊が出るという話は今に始まったことでは無い。政府が大まじめに答弁を作成し、記者会見でも話題にのぼったことがある。2013年5月15日付けで民主党の加賀谷健参院議員は「旧総理大臣官邸である総理大臣公邸には、2・26事件等の幽霊が出るとの噂があるが、それは事実か。安倍総理が公邸に引っ越さないのはそのためか」という内容の質問主意書を提出。これに対して、政府は5月24日に「お尋ねの件については、承知していない」との答弁を閣議決定している。
この答弁は菅義偉官房長官の会見でも話題になり、菅氏は「色々なうわさがあるのは事実だし、この間、閣僚があそこで懇談会を開いた時も、そういう話題が出たのも事実。ただ、質問主意書なので、現時点で考えられることを素直に答弁したのだと思う」と、閣内でもうわさが出ていることを明かした。記者から「長官も公邸に何度か入っているが、そういった気配はあったのか」と聞かれ、菅氏は「言われればそうかな、と思う」と苦笑いしていた。
公邸は1929年に首相の職場にあたる首相官邸として建てられ、しばしばテロの舞台にもなった。32年の5・15事件で犬養毅首相が、36年の2・26事件では岡田啓介首相の義弟などが射殺されるなど、いわば「血塗られた歴史」を持った場所でもある。2002年4月に73年間の官邸としての役割を終えたが、昭和初期に流行した「ライト風」建築の代表例で、「歴史の証人」として保存が決まった。南に50メートル移動した後にリフォームされ、05年4月から首相の住居にあたる公邸として利用されている。
「出ては、消える」幽霊の話題だが、安倍首相は第1次内閣時代に8か月ほど公邸に住んだことがある。この時に公邸の住み心地の悪さを思い知ったのが私邸からの通勤を続けている本音のようだ。いっそのこと、公邸でミッドナイトツアーを催してはどうだろう。(編集担当:久保田雄城)