和菓子の駿河屋の破産に見る“上場”の危うさと“のれん”の大切さ

2015年04月07日 12:18

 昨年に経営破綻した和菓子屋「駿河屋」を引き継いだ新会社「総本家駿河屋」が、和歌山市駿河町の本店で営業を開始した。旧駿河屋は室町時代に岡本善右衛門が創業し、550年の歴史を持つ名門の老舗。紀州徳川家の御用達となり、千利休や豊臣秀吉も好んだとされる「練りようかん」を初めてつくった和菓子屋としても有名だ。1961年に上場企業となり、ようかん、まんじゅう、せんべいなど和菓子の他、プリン、カステラ、ブッセなど洋菓子の製造販売も始め、地元のみならず、大阪、京都、東京にも店舗や営業拠点を出し、輸出まで手掛けるようになった。最盛期の92年には約60億円の年間売上高を上げている。しかしその後、バブル崩壊のあおりで業績が低迷、2004年には不正増資の疑いで創業家社長と関係者が逮捕されて経営が一気に悪化し、昨年の民事再生法申請から事業停止へと至った。

 90年代後半に株価の下落が進み、2003年には東証から、時価総額10億円未満、上場廃止の可能性のある銘柄として公表された。さらに銀行からの融資を拒否されたため、増資により財務内容の改善を図り、上場を維持する必要に迫られた。そこで、某投資会社に940万株を事実上ただで渡し、約12億円の見せかけの融資を受け、「株式払込金保管証明書」を発行。資本金を増額したとして法人登記を変更をした。だがこれが発覚し、名門老舗ののれんへの信頼は地に墜ちたのだった。

 新会社「総本家駿河屋」の岡本良太社長は、3月16日の記者会見で「手を広げすぎたのがかつての悪かった部分。地域との交流も少なかった」と述べた。これは、長年の人々の信頼に支えられた老舗としての本分を見失っていた、かつての経営形態への真摯な反省だろう。バブル崩壊で業績に陰りが見え始めた時点で、市場や事業の規模を縮小し、上場廃止を受け容れてでも従来の伝統的な和菓子作りと販売に専念していれば、のれんを汚すこともなく倒産を回避できたであろう。だが、失ったあとに見出したものも大きかった。元駿河屋労働組合が、和歌山市民約12000人の署名を集め、資産を切り売りせずに駿河屋を残してほしいと地裁に求めたのだ。岡本社長は同記者会見で「今回のことで、こんなに愛されていたのかと実感した」と述べ、和菓子作りの原点に立ち返ってお客さま目線を大切し、のれんの伝統を継承して精進していきたいと語った。近代市場に翻弄されたこれまでの苦難の道のりから、老舗の伝統への素朴な信頼の大切さに目覚めた“新生駿河屋”が人々の愛とともに再起できるか、これからが注目である。(編集担当:久保田雄城)