2006年、北海道夕張市が353億円もの負債を抱え財政破綻をしてから、今年で10年目を迎える。
夕張市はかつて炭鉱町として栄え、最盛期には12万人もの人口を抱えていた。しかしやがて70年代に入り炭鉱産業が衰退するとともに、市の財政も逼迫の兆しを見せていく。バブル期にはリゾート産業などで形勢逆転を狙うものの、バブル崩壊後、観光業者は次々に撤退し、市はさらなる負債を抱えることになってしまった。
夕張市が「財政破綻」という最悪の事態を回避できなかった要因としては、第一に「国策」に依存をしすぎたということが挙げられる。かつて石炭は「黒いダイヤ」とも呼ばれ、炭鉱開発は国の主導のもとに行われた。しかし、炭鉱からの採掘量の減少や環境への悪影響などが問題視をされるようになると国は炭鉱の閉鎖を次々に決断、その埋め合わせとしての産炭地域振興臨時措置法(産炭法)も2001年には失効をしている。
第二の要因として挙げられるのは情報公開の不備だ。自治体の財政状況、第三セクターなどの経営実態などを市はほとんど住民に対して公開しておらず、市民の側による十分なチェック機能が働かなかった。夕張市前市長である後藤健二氏も、情報公開の重要性に関しては著書などで繰り返し指摘している。
国への依存や情報公開の不徹底などは、全国のその他多くの自治体にとっても耳の痛い教訓となるかもしれない。
しかしその一方で、破綻後の夕張市は徹底した情報公開のもと、自力で財政再建を進めようとしているのも確かだ。住民税をはじめとする各種増税、各種行政サービスの値上げ、市長や市議会議員、市職員の給与カット、学校や市の出先機関の統合などさまざまな取り組みにより、現在では負債総額のうち、およそ三分の一の返済を既に終えている。
だがしかし、そうした財政再建の中で住民の流出は止まらず、離職を希望する市職員も後を絶たない。さらに定住化促進策も財政難から一向に打つことが出来ていないという、新たなる課題も表面化している。
現在夕張市の鈴木直道市長は、市職員の計画的採用やふるさと納税事業のPR、さらには第三者委員会の提言に基づくさまざまなアプローチなどにより、これまでの10年間に続いた再建路線の一部変更を目指している。その新たなる道のりは、まだ始まったばかりだ。(編集担当:久保田雄城)