変化するバレンタインのカタチ

2013年02月09日 14:42

  正月気分が抜けると、街にはハートマークが飛び交い、バレンタイン商戦が始まる。バレンタインデーの起源は、ローマ帝国の時代、皇帝の迫害のもとで殉教した聖ウァレンティヌスに由来するといわれており、ヨーロッパでも恋人や親しい人に花やケーキ、英国ではチョコもプレゼントとして贈りあう風習はあるらしいが、日本のように女性が男性に愛の告白をするための日ではない。むしろ「義理チョコ」の方が、本家のバレンタインデーに近い行為といえる。

  日本でバレンタインデーが流行しはじめたのは、日本の第一次高度成長期の真っ只中、1958年頃だといわれている。その年、日本では様々な出来事が起こっている。東京タワーが竣工し、東海道本線東京大阪間で国鉄初の電車特急「こだま」が運転を開始。また、日清食品が「チキンラーメン」を発売したり、本田技研工業が「スーパーカブ」を発売した。新1万円札も発行され、のちのミスター巨人・長嶋茂雄選手が4打席4三振デビューを果たした。そして、皇太子殿下・明仁親王と正田美智子様が婚約を発表され、ミッチーブームがまき起こったのもこの年である。

  そんな中、バレンタインデーも、流通業界や製菓業界によって普及が試みられた。まず、バレンタインデーに日本で最初にチョコを販売したのは、メリーチョコレート会社だといわれている。同社は新宿の伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出して販売を行なったが、当時の日本人には欧米のバレンタインデーすら認知している人は少なく、3日間のセール期間に売れたのは、50円の板チョコレートが3枚と20円のメッセージカードがたった1枚だったという。それにもめげずに、その翌年、メリーチョコレートは再び伊勢丹に出展した。

  もちろん、同じことを繰り返しても惨敗する結果は見えている。そこでメリーチョコレートは、「バレンタインデーが愛の日であるならば、女性から告白してもよいはずだ」と、その後の日本式バレンタインのもとになる発想をもって、四角だったチョコレートをハート型に加工。「年に一度、女性から男性へ愛の告白を!」というキャッチコピーを付けたうえに、贈る人と相手の名前を入れられるサービスを実施した。これが、当時まだ「おしとやか」だった女性たちの心を捉え、好意的に受け止められるようになり、その後、60年代に入ると、森永製菓などが便乗し始めて、いつしか製菓業界、流通業界を巻き込んだバレンタインデーが築かれていった。それでも、実際に「日本型バレンタインデー」の様式が定着したのは1970年頃。今では一大イベントになっているバレンタインも、十数年の下積みがあったようだ。

  帝国データバンクが行なった調査によると、2009~2011年度まで3期連続で売上高が判明した菓子メーカー主要455社では、2011年度売上高総額は2兆5293億2000万円で前年度比0.3%増となり、損益状況も堅調な企業が多数を占めている。売上高合計の増収がみられるのは、中部地方、近畿地方、中国地方、四国地方となっており、愛知以西の西日本地域が比較的堅調に推移しているようだ。

  2月に入り、チョコレートだけに留まらず、和菓子やお煎餅、お花など様々な事業者が便乗してバレンタイン商戦が繰り広げられている。さらには、頑張った自分や大好きな自分へのご褒美として、ちょっと贅沢なチョコを自分自身に贈る「自分チョコ」という提案までされている。昔は、控えめな女性の背中を推してくれる特別な日であったが、今日では、少し様子が違ってきているようだ。(編集担当:石井絢子)