スズキ救済、実はトヨタにとって3度目のこと。盟主トヨタの巨大自動車グループ誕生

2016年10月16日 12:26

Toyota_Suzuki

トヨタ自動車の社長である豊田章男氏とスズキ自動車の会長・鈴木修氏が共同記者会見を開いた

 10月12日夕刻、突然だった。トヨタ自動車の社長である豊田章男氏とスズキ自動車の会長・鈴木修氏が共同記者会見を開いた。

 そこで両社は、「協力関係の構築に向けた検討を開始することを決定した」と発表したのだ。が、そこには具体的な内容はなにもない。会見のなかで豊田社長は、「(グローバルな自動車業界では)技術競争が、かつてないほどのスピードで大きく変化している。1社だけで個別に開発を進めるだけでは限界がある」と述べ、鈴木会長も「伝統的な自動車開発技術を磨くだけでは将来が危うい。トヨタに協力してもらえないか、思い切って相談した」と発言。次世代のエコカー環境技術や自動運転技術などの開発などで業務提携を検討するというのである。

 スズキは小型車を低いコストで開発する技術に長けているものの、多額な資金を擁するクルマの電動化やハイブリッドシステム、燃料電池車、自動運転など先進技術開発では遅れをとっている。スズキは2011年に国際仲裁裁判所にフォルクスワーゲン(VW)との提携解消を申し立てた。2015年8月末、スズキとVWの4年におよぶ泥仕合に終止符が打たれ、遂に提携解消となった。その会見の席で鈴木会長は、「今後は提携を考えているというより、自立して生きてゆくことを前提にやっていきたい」と、強気な姿勢を示していた。が、同氏は近しい人物に「孤独死もありえるかも知れない……」と漏らしていたとされ、胸の内では単独で生き残るどころか、孤独死をも想定した強烈な危機感を抱いていたともいえる。

 スズキがVWと提携した目的は、環境技術の提供を受けることだったはずだ。VWなどの大手メーカーに比べて研究開発費で大きく見劣りするスズキは、この提携解消後もこうした課題を抱えていることに変わりはなかった。そこで協力を求めた先が、かつての盟友である米ゼネラルモーターズ(GM)ではなく、日本自動車盟主であるトヨタだった。

 トヨタは1966年に日野自動車と業務提携して以降、ダイハツ工業を含めて一大グループを形成。この8月にはダイハツを完全子会社化した。トヨタ、日野、ダイハツ合計の国内新車販売台数(軽自動車含む)のシェアは2015年で4割を超す。その後も富士重工業、いすゞ自動車と相次ぎ資本・業務提携。今年になってマツダとも協力関係を結んだばかりだ。そこに今回、スズキが加わる。

 スズキにはGMやVWと提携する以前、経営危機に見舞われトヨタに支援を求め、2度救済された歴史がある。1度目は1950年、スズキで日本でも最大規模の労働争議が勃発し、回復不可能なほどの赤字を計上。トヨタは資金供与、役員派遣などでスズキを救済した。2度目は排気ガス規制強化がなされた1976年だった。高い出力を容易に出せ、経済効率を追及して2サイクルエンジンを搭載してきたスズキは、その規制をクリアできずにもがいていた。トヨタはダイハツから4サイクルエンジンを供与して救済した。

 スズキは世界で戦えるAセグメントの小型車開発力と、世界4位の巨大市場インドでの圧倒的シェアを持つ。今回、新たにトヨタがスズキと手を結ぶ。ダイハツなどのグループ企業、マツダや富士重など協力メーカーを合わせた国内シェアは6割超だ。これだけのメーカー牽引しながらトヨタは、次世代の技術開発競争をリードしていくことは、日本の自動車産業の将来を左右する。(編集担当:吉田恒)