細菌はシグナル物質を介して細胞間で情報伝達を行い、お互いに遺伝子発現を調節することで、集団としての性質を発揮することが明らかとなっている。このような細菌間情報伝達は細菌の病原性やバイオフィルム形成などを制御しており、ヒトの健康や環境保全にも密接に関与している。シグナル物質の中には水溶液中で拡散しにくい疎水性のものも多く、それらがどのようにして細胞から放出され、さらには周囲の細胞に伝わるのかは分かっていなかった。
シグナル物質の中で多くの細菌で用いられているのがアシル化ホモセリンラクトン(AHL)類である。AHL類がシグナルとして有効に働き、遺伝子発現を調節するためには、ある一定の濃度(閾値)に達しないといけない。これまでAHLを介した細菌間情報伝達は、AHLが単純拡散するというモデルのもと、濃度に応じて集団全体の遺伝子発現の強弱が調節される、と考えられてきた。しかし、その場合、物質が希釈されてしまう海洋や河川などの水環境でシグナル物質がどのようにして一定の濃度に達するのかを説明することができず、常に議論の的となっていた。
筑波大学 生命環境系 豊福雅典助教(チューリッヒ大学 客員研究員 兼任)、野村 暢彦 教授らの研究グループは、スイスのチューリッヒ大学、住友重機械工業、住友重機械エンバイロメント、ドイツのヘルムホルツセンターミュンヘンとの共同研究により、細菌同士の会話(情報伝達)を仲介する物質(シグナル物質)が、細胞膜で構成された袋状の構造MV(メンブランベシクル)によって運搬されることを解明した。
研究グループは細菌が自身の細胞膜で構成する袋状の構造物であるメンブランベシクル(MV)に着目し、MVによってシグナル物質が運搬されるのではないかと考えた。そこで、土壌や水環境に生息し、疎水性のAHLの一種(C16-HSL)を産生する細菌Paracoccus denitrificans(パラコッカス デニトリフィカンス)をモデルとしてこれを検証しました。P. denitrificansのMVを調べたところ、細胞外に放出されるMV1粒子には閾値濃度以上のC16-HSLが濃縮されており、それを受け取った細胞の遺伝子発現を制御できることが示された。
従来のAHLが単純拡散するという仮説では、濃度に応じて集団全体の遺伝子発現の強弱が調節されることになるという。この場合、産生する細菌から離れるに従って、シグナル濃度は希釈され最終的には閾値以下になる。一方、MVにAHLが濃縮された場合は、それを受け取った細菌と受け取らない細菌の間で、遺伝子発現の差異が生じてくる。この場合には、距離が長くなるに従って、シグナル物質を受け取る確率が減るが、MVが届きさえすれば、十分量のシグナル物質が受け渡されるので、長距離間におけるシグナル伝達にも利用されている可能性があるという。このように、既存の細菌間情報伝達モデルはシグナルが濃度勾配を伴って集団全体に連続的(アナログ)に伝達されるのに対して、本研究グループの発見は、MVによってパッケージ化されたシグナルがとびとび(デジタル)に伝達されることを示している。
さらに、P. denitrificansによるMVを介したシグナル伝達を解析したところ、MVは特定の細胞に付着しやすいことを明らかにした。(編集担当:慶尾六郎)