プロ棋士に勝利し、雑誌の付録にまでなっている人工知能は、今やかなり身近な存在となりつつある。その裏では人工知能を開発・運用できるエンジニアの不足が問題となっており、この点は人工知能という分野においては急務の課題ともいえる。
人工知能といえば、一昔前まではSF映画の中だけの存在だった。それがもはやSF映画の中だけの存在ではないことは、多くの人の認めるところではないだろうか。
たとえば将棋プログラムの「ボナンザ」は、プロ棋士に将棋で勝利したことで一躍その名を世間に知らしめることとなったが、これは人工知能という存在を示す最も端的な例であるといえるだろう。では、その人工知能の未来はいったいどこにあるのだろうか。
人工知能そのものの開発の歴史は古く、少なくともSF映画でその設定が語られていた段階で開発構想があったとされている。
日本における人工知能の草分けといえばソニーが開発した「AIBO」ではないだろうか。このAIBOはエンターテイメントロボットとして幅広く人気を博したが、その中枢を担っていたのが人工知能だった。
ロボットであるからには、ある程度は人間の手による操作が必要だったのだが、このAIBOというロボットがそれまでのものと比べて画期的だったのは、人工知能による「自律性」をもっていたということにある。自律性とは、自身で周囲の状況を認識、判断をし、そして学習していくということだが、現在の人工知能に関するコンセプトは既にこの段階で完成していたことがわかる。
その後も人工知能の研究開発は進み、今となってはプロの棋士に勝つことすらも難しいことではなくなっている。また、雑誌の付録などでも「人工知能育成キット」が添付されているなど、今や人工知能はかなり私達の生活にとって身近な存在となりつつあるといえるだろう。
人工知能の登場するSF映画では、最終的には人間と敵対するというのがお決まりのパターンだった。人工知能の未来として多くの人が抱くのがこのイメージではないだろうか。
確かにこのままのペースで開発が進めば、いずれは人間にとって変わるほどの存在となりうる可能性は十分にある。この可能性については、様々な分野で議論が行われているが、実際に人工知能を開発する現場からすれば将来的に人間と敵対するという可能性はほとんどないと考えられている。
というのは、人工知能はあくまでもシステムであり、システムである以上はそれを開発し、コントロールするエンジニアが存在するというのが大きな理由だ。
確かに将棋でプロ棋士に勝つというのは大きな話題性があるが、こうした人工知能の能力というものは、業務の効率化など様々な場面に応用可能な技術である。となれば、次に考えるべきは人工知能をいかに効率よく運用できるか、という技術的な問題だ。
今、こうしたエンジニアの不足は業界全体で懸念されている項目といわれている。人工知能を正しく運用できる知識と技術をもったエンジニアを育成することこそが、本当の意味での人工知能の未来像といえるのかもしれない。(編集担当:久保田雄城)