柴山文科相 教育勅語で大臣資質に早くも疑問符

2018年10月04日 06:40

 憲法への国旗・国歌規定や天皇を国家元首とする規定、自衛隊明記など自民党の2012年の憲法草案を含め、改憲推進派の有力メンバーの一人、柴山昌彦文部科学大臣が大臣就任会見で早くも教育勅語を「現在的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いている。検討に値する」と語り、現行憲法や教育基本法と根本的に則さない「思想」を浮き彫りにした。文部大臣に相応しいのか、根本から問われることになりそうだ。

 教育勅語が戦前、戦中に果たした歴史的役割や戦後の民主主義憲法下の国会で行われた「国会決議」を踏まえれば、文部科学大臣の重責に就いた者が、教育勅語を現在的にアレンジすることを検討に値する、などとする認識で良いはずがない。

 教育史学会が出版した「教育勅語の何が問題か」で指摘されている通り、「教育ニ関スル勅語は1948年6月の衆議院で『教育勅語等排除に関する決議』、参議院の『教育勅語等の失効確認に関する決議』によって回収、焼却されて、公的な世界から排除された。『さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定した結果として、教育勅語は既に廃止せられ、その効力を失っている(参議院の決議)』。

 特に「教育勅語が戦前の日本の教育を大きく歪めた事実を、これまで研究者がさまざまな観点から明らかにしてきた。教育勅語が学校教育の現場で、歴史の事実を明らかにするための史料以外の教材として使用されるべきものではないことは、今さら議論する余地はない」。

 教育史学会が指摘する通り、現行憲法や教育基本法に相容れないものであることが明確になっている。

この事実を司法試験に合格する頭脳の持ち主の柴山氏が理解できていないはずはないと思われるのだが、現行の憲法、教育基本法に照らし、柴山氏の発言は整合性が取れるのか、国会で議論されそう。

教育史学会は教育勅語について(1)教育勅語が、過去と現在と未来にわたる天皇と国民の道徳的な一体性という仮想を「国体」という言葉で表現し、そこに教育の淵源を求めている文書であり、そもそも日本国憲法や教育基本法とは根本から矛盾する。

 (2)教育勅語は修身科教育の基本方針とされ、教材とされたうえ、勅語の『奉読』、筆写・暗唱暗写などを通じてその徹底が図られた。様々な儀式には、御真影(天皇・皇后の写真 ) への「拝礼」や「君が代」斉唱が盛り込まれ、そこで用いられるモノ(御真影・教育勅語謄本 ) は、児童生徒や教員の生命よりも優先されるほど重要なものとされた。

 (3)教育勅語が、民族的優越性の「根拠」とされるとともに、異民族支配の道具としても用いられた。

 日本共産党の志位和夫委員長はツイッターで「現代的アレンジ『検討に値する』教育勅語巡り文科相、「勅語」の核心『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』をどう「現代的アレンジ」する?「いざというときは集団的自衛権を発動して米国のために命を投げ出せ」か?とんでもないことだ」と提起している。

 教育勅語を現代的にアレンジすること自体、歴史認識を問われる発想で、文科大臣としての資質が国会で問われるのは必至だ。(編集担当:森高龍二)