【コラム】日本の侵略踏まえた「慰霊祭」の在りよう

2023年08月13日 10:32

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8月15日、78回目の「終戦記念日」を迎える

 8月15日、78回目の「終戦記念日」を迎える。世界で唯一「被爆国」として、例年8月6日、9日には広島、長崎はじめ全国各地で原爆により命を落とした人たちの追悼と核兵器廃絶への願いを込めた「平和への誓い」がある。

 ただ、国のために命を落とした戦没者と共に、われわれが忘れてはならないことは「原爆においては『被害者』だが、侵略を行った『加害者』という歴史的事実」も重く受け止め、終戦記念日には「戦争の惨禍を繰り返さない、平和国家として世界の中でその役割を果たしていく」という、平和国家に生きる国民としての自覚、行動を高めていくことだろう。

 先ごろ、被ばく者から体験談を聴くことができた。79歳の男性は被ばく当時1歳だった。広島の爆心地から1.3キロほど離れた自宅にいて原爆投下にあった。屋内にいて男性は父とともに助かった。屋外にいた母と兄は亡くなった。

 男性は「被爆者は被爆体験を語りたがらない」という。「被爆が感染することはないのに、差別され、馬鹿にされた。だから私も語ることはなかった」。その彼が語るようになったのは原水禁大会で当事者でない人たちが雨の中でも核兵器廃絶の声をあげている姿を見てからだという。

 「感動した」と話した。「原爆投下は二度とあってはならない。(被ばく当時者の)自分が語らなければ」。心境が変わった。男性は「米国は戦争を早く終わらせるために投下したというが、終戦後の主導権をにぎることが目的だった」と確信する。戦後、男性は何度も中国にも足を運んでいる。南京大虐殺犠牲者追悼の場になっている南京大虐殺記念館(南京市)にも足を運んだ。

 「虐殺した人数に誇張があるかも分からないが、大虐殺があったことは事実。ものすごくひどいことをやっている」と一例をあげた。写真を撮るから集まれと集落の全員を集め、写真機に布をかぶせているように見せた、布の前に整列させ、集まったところで布を外し、一挙に殺害した。布の中身は機関銃だった。殺害した村人は地中に埋め証拠隠滅を図った。

 「私たちは加害者でもあることを忘れてはならない」「それは重要なことだ」と話した。このセリフ、著書でも読んだ記憶がある。陸軍工科学校を経て陸軍乙種技術幹部候補生として中国北部を転戦し、技術軍曹として終戦を迎えた旧日本軍兵士・澤昌利氏が著した「日本人よ、侵略の歴史を忘れるな」(お茶の水書房、1987年刊)の記述だ。

 澤氏は書の中で朝日新聞に投稿した一文も紹介していた。「朝鮮をはじめとし、中国、比島、ビルマ、仏印、インドネシアなどの太平洋沿岸諸国民に甚大なる人的物的被害を与えたのは日本人自身である。我が国の戦争犠牲者数が230万人(2022年現在では日中戦争、太平洋戦争の犠牲者は310万人)といわれているのに対し、これら諸国民の犠牲者数が2000万人以上に及ぶということに、日本人は思いを致し、加害者としての反省と悔悟(かいご)を持って対処しなければ、真の平和と友好は達成できないのではないだろうか」と綴っている。

 澤氏はこうも提起している。「なぜ、毎年8月15日の戦没者慰霊祭執行時に、これら被害を与えた太平洋沿岸諸国民の犠牲者に対し、悔悟と鎮魂と反省の合同の慰霊祭が行われないのであろうか」。

 歴史を踏まえれば当然の疑問だ。澤氏の記述は戦後78年を経た今も、日本の「慰霊祭」が侵略戦争の歴史を踏まえた「慰霊祭」になっていないと問いかけている。筆者は戦後生まれだが、歴史を踏まえ、合同慰霊祭となることが、後世のためにも、史実を冷静に客観視し、正しい歩みを続け、憲法9条(戦争の放棄)の重みを知るうえでも、良いことなのだろうと考える。

 日本の歴史学者・故・家永三郎氏は澤氏の著書に序文を寄せていた。「日本軍の侵略で踏みにじられたアジアの広大な地域には日本軍の残虐行為によって配偶者・肉親・師友などを殺された恨みを忘れかねている人々が、日本人戦争被害者以上に大勢いるはずであることをもあわせて考えなければならない」。

 「中国政府が教科書検定での『侵略』削除や日本首相の靖国神社公式参拝などが生じた時に抑えられない真情をぶつけてくるのも、日中戦争の実態を振り返ってみれば、あたりまえの反応ではないか」。

 靖国神社からA級戦犯の祭祀をやめ、8月15日には「合同慰霊祭」を営み、国内・国外での戦争犠牲者を追悼することは終戦記念日にふさわしい、世界に発信できる慰霊祭になるのだろう。(編集担当:森高龍二)