文部科学省は中学の英語授業を原則『英語』で行うなどの英語教育改革実施計画を13日までにまとめた。学習指導要領の改訂を行い、2018年度から段階的に導入する考えだ。
下村博文文部科学大臣は「文法や読解力中心の受験英語からグローバル社会で活躍できる人材の育成に変わる必要がある」と狙いを語った。
高校では英語での発表や討論など、自らの考えを英語で自由に伝えることができるような実践的レベルにまで高めることを目指す。
そもそも日本の英語教育のあり方はスタート当初から教育現場外から疑問符がついていた。英語が非日常的な環境の中で、ほとんど耳にすることが少ない「英語」を、読み、書きからスタートさせ、その後に文法が加わり、本来、「耳から学ぶべき言語」(英会話)が中学になく、実質的に民間の英会話教室など課外授業に委ねられた歪な英語学習環境にあった。
幼稚園や小学校の早い時期から日常の暮らしに使用される英会話を始めることが言語学習では大事だ。スペルや単語が書けなくても「音」として自然に身につけさせていく環境づくりこそ、言語教育の基本だろう。
文部科学省は小学校の外国語活動を今の5学年から3学年に早め、5学年からは正式な教科にするとともに、授業時間を増やす方針だ。
現場の英語教員不足は英語力にたけた外部人材を小学校で起用できるよう特別免許を創設するなどでカバーする。
当然のことだが、海外で通じる発音でなければ会話は成立しない。なので、パイロットや客室乗務員、海外勤務経験が豊富な人材など、英語に限ることではないが、英語、フランス、ドイツ、中国、韓国、ロシアなど各国での生活経験者などを言語教育現場に採用し、英会話を通して双方の文化・生活習慣の違いなども学んでいく機会にしていくことが必要だろう。
昭和45年頃までに公立高校を卒業した多くの人たちは大学で初めて、和製英語でない、英会話を体験したのではないのか。わたしは少し後の高校卒だが、大学で始めて正しい発音を知った。中学、高校での英語が生きた語学でなく、まさに下村文部科学大臣が語る「受験英語」だったからだ。
英語の授業を英語でするのは当然だが、それが出来てこなかったのは教える側の人材不足と言語学習の入り口が英会話(耳)でなく、読み(目)からだったからだ。幼稚園からでも英会話なら導入されていいのではないか。
言語を学ぶ側にとっては、日常の中に自然に『意思を伝達する手段』のひとつとして、日本語と同じように英語が並行して存在していても、自然なものであれば、自然に覚えるものだ。それが言語なのだ。赤ん坊は耳から言葉を得、徐々に理解していく。日本語も、英語も、あるいは何語であっても自然にそこにあれば、自然に身につけ、話すことができるようになるだろう。
定年退職した経験豊富な元商社マンや旅行会社、サービス業などいろんなジャンルから有用な人材に第2の職として、幼稚園や小学校、中学校で英会話や英語を通した他国の文化を伝える役割を期待したい。その意味では特別免許の創設は歓迎すべき制度といえ、期待される。(編集担当:森高龍二)