1964年の東京オリンピック開幕直前に基本的な「首都高速道路」が完成した。が、その後バイパスを含めて複雑に進化している。2020年、次の東京オリンピック開催までに、首都の交通インフラは、どう変わるのか? 図版は「日本道路交通情報センター(JARTIC)」の首都圏版
1964年10月10日快晴の空の下、東京で「東京オリンピック」の開会式が行なわれた。それまでの数年間、このオリンピック開催に向けて東京を中心に猛烈なインフラ整備が進んだ。東海道新幹線の開通、東名&名神高速道路など東京から関西周辺へ伸びる大規模交通インフラだけでなく、オリンピックのメインスタジアム「国立競技場」や「競泳プール」などと第二会場の駒沢オリンピック公園へのアクセスのために青山通りに面した個人の土地をほぼ強制買収して青山通り(国道246)拡張を強行した。オリンピックのマラソン&競歩のために、甲州街道(国道20)も大幅に改修された。
もちろん、1964年の東京オリンピックを機に出来た東京にとって最大規模の交通インフラストラクチャーは自動車専用道路である「首都高速道路」に違いない。
初めて首都高が開通したのは1962年、京橋~芝浦(4.5km)だった。その後、本町~京橋(1.9km)、1号羽田線芝浦~鈴ヶ森(6.4km)、都心環状線呉服橋~江戸橋JCT(0.6km)が1963年までに開通した。
1964年になると開発・開通は急ピッチで進む。8月に1号羽田線の鈴ヶ森~空港西(4.6km)、八重洲線汐留JCT~新橋(0.3km)、神田橋~代官町~新宿線初台(9.8km)、都心環状線呉服橋 – 神田橋(0.4km)が開通する。さらに9月には、都心環状線の三宅坂JCT~霞ヶ関(0.4km)開通。そして、10月1日オリンピック開幕直前に、都心環状線浜崎橋JCTが完成したことで芝公園(1.4km)までが繋がり、ほぼ都心環状線と羽田空港まで首都高速が開通したことになる。つまり、羽田国際空港~国立競技場、そして代々木公園にあった米国の日本占領・駐留の象徴ともいえる米軍属らのワシントンハイツ跡地に建設した「オリンピック選手村」を結ぶネットワークが完成した。
ところで、2020年開催の東京オリンピック開催に向けて、首都高が抱えている最大の問題は“老朽化”だ。先の1964年までに開通した首都高を含めて約90kmが建設後40年超だ。首都高速道路・総延長300kmの3割を占める。加えて、厄介ことに、この老朽化している首都高は霞ヶ関&赤坂トンネルなどを含め橋梁、高架の構造物比率が95%で改修費用も膨大となる。
この1964年に完成した「首都高速道路」が、2020年の次の東京オリンピック開催までに、どう変わるのか? 中央環状線の完成は確かに効果があった。
その先の首都高の渋滞解消に期待される「外環道」開通について、用地買収に苦労していた千葉区間の三郷南IC~高谷JCT区間で用地買収がすべて終わった。しかし、外環道として最重要経路となる城西地域の大泉JCT~東名高速道・東京インター区間は、オリンピックの2020年開通に向けて動いてはいる。が、用地買収が厳しい状況であることに変わりはない。
今後の首都高改修問題への国土交通省、東京都、首都高速道路会社を含めて、その対策・対応は“見物”ではある。(編集担当:吉田恒)