濡れ手に粟の厚遇か 原子力規制委の報酬と責任

2013年02月09日 08:52

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原子力の安全基準を決める重要な責任を負う原子力規制委員会

 原子力の安全基準を決める重要な責任を負う原子力規制委員会。責任の重さに比例して、本来、ファイトマネーも高くなる。

 原子力規制委員会の委員長の報酬は月額114万7000円。年間2188万円になる。委員は月額報酬107万8000円。年間2058万円になるそうだ。

 年間2000万円を超える報酬が高いか、安いかは、仕事の成果で判断されるべきだが、役職中の判断にミスがあった場合、責任をとる覚悟をお持ちだろうか。

 委員会が作成する新基準は原発再稼動の是非基準になることはもちろん、安倍内閣は新規・増設についても可能性を否定しない。「原発エネルギーの依存度をできるだけ逓減していく」(安倍総理)とは言うが、安倍総理がエネルギー政策の中で、方向として打ち出しているのは依存度逓減の方針のみで、原発ゼロ社会への意思は見えてこない。

 それだけに、原子力規制委員会が打ち出す科学的根拠のみに裏打ちされた安全基準の重要性とその重みは国民の命や暮らしに直結するものとして、非常に重い責任のあるものであり、政治や経済、エネルギー環境にみじんの配慮もあってはならない。

 まったく純粋な科学の判断で基準づくりが行われることが、国民の信託にこたえることになるということを、委員長や委員らは一層自覚すべきである。

 原子力委員会の委員長や委員の報酬について「65歳以上で、それぞれ天下りを経験し、さらに天下り。濡れ手に粟だ」との批判もでている。厚遇すぎるという批判だ。

 しかし、その批判が批判通りかどうかは規制委員会の実直な働きぶりに左右される。

 新基準の規定文が読み方次第でどちらにでも解釈できるような逃げ道を完全封鎖し、誰がどのように読んでも、唯一の解釈しかない規定文に仕上げることも要求されている。

 「明日は雨が降る天気ではない」という表現は句読点を入れないことによって、天気になったり、雨天になったりする典型例だ。「明日は雨が降る。天気ではない」ともいえるし「明日は、雨が降る天気ではない」と雨が降らないともとれる。安全基準がこんな規定文になったとすれば最悪だ。科学的根拠にのみ裏打ちされた基準と基準の規定表記に逃げ道をつくらない。これは委員会の大きな役割とこころして取り組んでいただきたい。

 報酬が高いか、安いか、濡れ手に粟かどうか、それは安全基準が示され、将来にわたって機能し始めたときに初めて判断されるべきことだ。あわせて、その責任を委員長、委員らはずっと背負い続けていただきたいと願う。(編集担当:森高龍二)