苦境が目立った2016年の百貨店業界。三越伊勢丹ホールディングス<3099>の16年度上半期(4~9月)の連結営業利益は前年同期比57.6%減の61億円。高島屋<8233>も0.3%減(3~8月期)、大丸や松坂屋を傘下に抱えるJ・フロントリテイリング<3086>も12.5%減(同)と数字にもあらわれている。最新のデータである10月の全国百貨店売上高も前年同月比3.9%減と8カ月連続で前年割れ。外国人観光客による「爆買い」の波が去った今、来年の展望もなかなか見えてこない。
厳しさを象徴するように16年に続き17年も各店の閉店が相次いで予定されている。三越伊勢丹は17年3月に三越千葉店(千葉市)と多摩センター店(東京都多摩市)を閉鎖、その後も低迷する地方や郊外の見直しを進める予定だ。千葉店は1984年に開店。売上高は91年度には507億円を記録していたが、2015年度には126億円にまで落ち込んだ。さらに16年4~8月の累計では前年同期比7.0%減となり、JR千葉駅の駅ビル再開発が進む中で売上を改善する見込みが得られなかったことから30年余りの歴史に幕を閉じることになった。千葉駅の近くにはそごう千葉店があり、立地の不利をカバーすることができなかった。
三越多摩センターは商業施設「ココリア多摩センアター」の中に2000年に開業、07年には70億円弱の売上高を記録していた。しかしその後は右肩下がりとなり、今年3月期は63億円となっていた。その事業形態から「三越のれん」を生かしきれないと判断され、閉店が決まった。
そごうと西武を運営するセブン&アイ・ホールディングス<3382>も店舗の再編を急いでいる。17年2月には西武筑波店(茨城県つくば市)と西武八尾店(大阪府八尾市)を閉店することを16年夏に発表済みだ。筑波店は1985年に開業。91年度には過去最高となる248億円の売り上げを記録したが、2015年度には128億円となっていた。西武といえば16年夏に日本最北の百貨店だった旭川店閉店したことが記憶に新しいが、この2店舗の閉店は旭川のような地方店の閉店とは事情が異なる。つくば市の人口は22万4000人で、10年前から3万2000人ほど増加している。しかし都内につながるつくばエクスプレスの影響で、地元で買い物をする人が減ってしまったのだ。
八尾店の事情は三越千葉店と少し似ている。近鉄八尾駅前に1981年に開業し、売上高は92年の383億円をピークに減少の一途を辿り、2016年2月期の売上高は155億円と、ピーク時の約4割にまで落ち込んでいだ。大きく影響したのが隣接地に06年に開業したショッピングセンター「アリオ八尾」。同店との競争が激しくなり、両施設をデッキでつないだ相乗効果をも得られず赤字が続いていた。大阪府内では堺北花田阪急(堺市)<9042>も、周辺の巨大ショッピングセンターに顧客が流出したことにより17年夏での閉店を決めている。付加価値の高い高額品を得意分野とする百貨店が、日々の生活に密着した郊外で生き残ることが難しいことを証明した形だ。
高級志向の難しさを示す事例は都心部でも起き始めている。銀座を代表するデパート「プランタン銀座」(中央区)は、16年いっぱいで32年の歴史に幕を下ろす。フランスの老舗デパートの名を使い、20~30代のOLを中心に支持されてきた。しかし徒歩同じ有楽町エリアで07年にマルイ、11年にルミネがオープンすると徐々に客が離れていく。さらに女性たちのファッションにおけるカジュアル志向が強まり、プランタンが強みとしていたコンサバ系のファッションが「時代遅れ」とも捉えられるようになってしまった。このような消費者のニーズの移ろいを反映して同店は3月には商業施設「マロニエゲート」として生まれ変わる予定だ。プランタン時代は全体の8割ほどを占めていた洋服の構成比を5割程度に下げて、化粧品やカバンなど雑貨の比率を5割まで上げる予定だ。
人口減だけでなく、顧客の価値観が変わったことで低価格のショッピングセンターに押されている百貨店業界。しかし、高島屋の木本茂社長は百貨店について「地方では雇用を創出し、社会の公器としての自負もある」とし、まだ百貨店にできる役割はあるとした。しかしそのためにはまず市民にとって「なくてはならないもの」というポジションを確立する必要がある。その一方で、イオンモールに代表されるショッピングセンターとは一線を画さなくてはいけない。百貨店の険しい道のりは続いている。(編集担当:久保田雄城)