幼保に国歌 小中生に領土 強まる愛国心教育

2017年02月18日 10:40

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安倍政権下で安倍晋三総理が目指す「愛国心」育成教育への制度づくりが着々、構築されつつある。

 安倍政権下で安倍晋三総理が目指す「愛国心」育成教育への制度づくりが着々、構築されつつある。本来、国民は行政府や立法府に対して、チェックの意味から常に目を向けておく必要があるが、『国』については意識せず暮らせる社会が平和で安定していることを裏付けるバロメーターだ。

 ところが、現行政府は「国旗・国歌」、「尖閣・竹島」といった『国』を意識させる政策強化を続けている。国を象徴する国旗・国歌・領土。愛国心教育を色濃くしている。

 今月14日の小中学校「社会科」学習指導要領改正案では「尖閣・竹島」が日本固有の領土であることを教えることを義務付けた。教える事は間違っていない。

 ただ、教える以上、日本固有の領土であることの根拠を分かり易く示しながら、正確に教えることが必要だ。同時に『尖閣』の実効支配は『日本』が、『竹島』の実効支配は『韓国』がおこなっている現況と、これまでの経緯も歴史的事実を踏まえ、正確に教えることが自国、韓国、中国の立場をともに理解させるうえで欠かせない。教諭にはその見識が求められることになる。

 一方、『国歌』については、幼稚園教育要領見直し案にも、保育所での運営指針改正案にも、3歳以上の幼児に対し「国歌に親しむ」よう指導することが明記されている。厚労省は「国旗掲揚や『国歌斉唱』を強制するものではない」としている。

 とはいうものの、文科大臣が以前に国立大学の学長会議で「国旗・国歌の扱いを適切にご判断頂きたい」と入学式などでの国歌斉唱などを要請するような発言をし、一方で、批判を回避するためか「各国立大学の自主的な判断に委ねられている」と義務を課しているのではない旨を付け加え、要請したことがある。

 国歌斉唱を「国民の義務」のように強制するのはおかしい。しかし、小学校の音楽の授業においては小学校6年間、毎学年度で、いずれの学年においても『国歌を歌えるように指導すること』を義務付けた。

 国歌について、教諭の児童に対する留意点では小学1年「日の丸と関連させ、興味関心を高める。旋律の意味を説明する」。6年生「歌詞全体の意味を理解するようにする。きれいな発音を心掛け、『気持ちを込めて歌うことが大切であること』を意識させるようにする」など、かなり精神の世界に踏み込んだ指導を求めている。
 
 筆者も当然、君が代は歌えるが、教諭から正しい意味を教えられた記憶がない。指導要領の説明では「日本国憲法の下、天皇を日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念した歌であることを理解できるようにする必要がある」としている。

 しかし、戦前の国民学校4年用国定修身教科書は「君が代の歌は、天皇陛下のお治めになる御代は千年も万年もつづいてお栄えになるように、という意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります」とある。

 平成11年6月29日の衆院本会議で小渕恵三総理は国旗・国歌法案に対する質問に「国歌・君が代の『君』は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく『天皇のことを指しており』、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり」と答弁している。

 君が代は時の政権下で、歴史的背景の下、解釈を変更してきた。それは君が代の歴史を突き詰めれば「国体=国體」(日本においては天皇を中心とした国)論に繋がっていくのだろう。

 平成12年5月の神道政治連盟国会議員懇談会で森喜朗総理は命の大切さを強調した話の中で「日本の国は、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを、国民の皆様にしっかり承知して頂く」と発言したことが記録に残っている。

 君が代を歌うことで愛国心を高めることができるとの意見がある。しかし、愛国心は育成するものでも、強制するものでもない。他国を知り、自国を知る中で自然に芽生えていくものだ。国家権力が愛国心に介入するような政策はとるべきでない。

 平成16年に秋の園遊会で、天皇陛下は学校現場での君が代斉唱にさえ「強制になるということでないことが望ましいですね」と語られたことが記録に残っている。

 教育現場で君が代を斉唱する、しない、起立する、しないが問題視され、起立しなかった教諭が戒告処分などにされている。最高裁は「式典の円滑な進行を図る」視点から、校長の職務命令違反としての戒告処分を認めた。一方で減給や停職には慎重な考慮が必要との判断を下している。

 平成11年に「君が代」が「国歌」に法定された経緯をみると、国旗・国歌をそれぞれ個別に国会で議論すべきとの意見がある中、時の自民党政権が「国旗・国歌」一括で、熟議なく法定した経緯がある。

 この年の6月11日に法案が閣議決定され、7月22日には衆院本会議で(賛成403、反対86)採決、8月9日には参院本会議で採決にかかり、賛成166、反対71で可決。8月13日には公布、即日施行された。

 野党の民主党は党議拘束を外し、それぞれの判断を尊重した。閣法として法案が国会に提出されてから採決・成立、施行までわずか2か月で、国歌であるにも関わらず、国民間での議論や世論合意形成の時間もないまま決定された。そのことが、現在に至っても違和感を持つ人たちを生じさせ、教育現場に混乱を起こす原因になっている。

 君が代を教える教諭が入学式や卒業式で起立を拒否したり、斉唱しなかったりするのは許せないというより、個人の信条や思いに対し寛容な姿勢を示すことこそが多様な生き方、考え方を尊重する教育現場に相応しいと感じるのだが、「強制するものではない」(厚労省)「大学独自の判断」(当時の下村博文文科大臣)という自主性を認めるのであれば、押しつけにならないよう、その旨も、明確にしておくことが肝要だろう。

 多様な価値観、多様な生き方を育む教育現場であるからこそ、君が代に違和感を覚える教諭がいるとすれば、式典を乱さないように席を外すなどすればよい話。その場に立ち会わせ強制すべきものではなく、自主的な判断に委ねるべき範疇のものだろう。

 「強制になるということでないことが望ましいですね」。陛下がお言葉にされた寛容さこそ、現行憲法に即した対応と思われる。(編集担当:森高龍二)