トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏が、創業時の優れたビジョンや起業家精神などにより、2018年の米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りを果たした。その他4名の受賞者も含めた自動車殿堂による授賞式は、米国デトロイトで7月19日に開催され、トヨタからは内山田竹志会長らが代表して参加した。
授賞式の会場で、米国自動車殿堂の会長を務めるShiloh Industriesの社長兼CEOのラムジー・ハーミス(Ramzi Hermiz)氏は、「豊田喜一郎氏は、自動車産業への重要な貢献の数々に証明されているように、歴史上の限られた人しか持ち合わせていない先見性とイノベーションを具現化した人物です。2018年の自動車殿堂に喜一郎氏を選ぶことができて嬉しく思います」と語った。
今回の豊田喜一郎氏の殿堂入りについて、トヨタの現社長を務める豊田章男氏は、次のようにコメントした。
「豊田喜一郎は、1920年代、米国の街中を多くの車が走る光景に大きな影響を受け、『国産車をつくり、日本に自動車産業を興す』という創業の志のきっかけにもなりました。喜一郎にとって米国は特別な国だったに違いありません。今回、その米国で自動車殿堂入りを果たしたことは、トヨタの継承者として、孫として、大変嬉しく、誇らしく思います。自動車業界は今、100年に一度の大変革期を迎えています。過去の成功体験にとらわれず、自動織機から自動車へのモデルチェンジに挑んだ喜一郎の殿堂入りは、変革期のさなかにある私たちに向けた『たとえすぐには報われなくても未来のモビリティ社会のために闘ってほしい』という喜一郎からのエールであるようにも感じています。米国自動車殿堂の皆さま、私の祖父を、私たちの創業者を殿堂に選出くださり、本当にありがとうございます」
•豊田喜一郎氏は1894年、自動織機の発明家である豊田佐吉の長男として誕生。東京帝国大学を卒業後、父が設立した豊田紡織株式会社に入社し、1926年には新たに設立した株式会社豊田自動織機製作所の常務取締役に就任。
1921年と1929年、2度の米欧視察を通じて自動車社会に触れ、日本でも自動車の到来を予見し、国産自動車づくりへの挑戦を決意したという。1933年に豊田自動織機製作所に自動車部を設置し、翌年には自動車事業への進出を正式決定し、エンジンの試作を成功した。
1935年には初の試作車「A1型乗用車」を完成したほか、「G1型トラック」を発表。翌年には「AA型乗用車」を生産開始し、その後1937年にトヨタ自動車工業株式会社を設立。豊田喜一郎氏は1941年から社長に就任したが、戦後の1950年に、労働争議の責任を取って社長を辞任。1952年3月、社長への復帰が内定していたなか、57歳にて逝去した人物だ。
米国自動車殿堂入りをした日本人は、1989年に日本人として初めての殿堂入りを果たした本田宗一郎氏(ホンダ)、1994年の豊田英二氏(トヨタ)ほか、これで8名となった。(編集担当:吉田恒)