象徴天皇に見合う儀式の在り様へ議論望む

2019年10月27日 11:52

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安倍内閣は「前例踏襲」を強調し、政教分離や国民主権との整合性に踏み込む議論を回避し、平成に続き、令和においても、次期への既成事実化を図ろうとした感がある

 天皇陛下が国内外に即位を宣言した22日の「即位礼正殿の儀」。「高御座(たかみくら)」と呼ばれる『玉座』に立つ陛下を首相ら3権の長が下から見上げ万歳三唱する光景に「権威」の演出を感じるとの声を聴いた。日本共産党は機関紙赤旗で「天皇と臣下の関係と見まがう異様な光景」と表し「日本国憲法の主権在民の原則とは全く相いれない」と問題提起している。

 「天孫降臨」神話に基づく「三種の神器」の剣と璽(じ)=勾玉=を玉座台に置いての即位礼の儀には「神道」の宗教色が色濃く、政教分離の観点から違憲を指摘する声がキリスト教など神道以外の宗教団体や学者間からも出ている。

 高御座は「神によって天皇の地位が与えられたことを示す」との解説があり、神話そのもの。象徴天皇の地位は「国民の総意に基づいて」あるものであり、憲法に沿わないことはいうまでもない。

 安倍内閣は「前例踏襲」を強調し、政教分離や国民主権との整合性に踏み込む議論を回避し、平成に続き、令和においても、次期への既成事実化を図ろうとした感がある。

 即位に関する一連の儀式が、国民こぞってこころから祝福できるものとするためには「憲法にのっとった象徴天皇に見合う儀式の在り様」を議論することが是非とも必要。

 陛下は22日の即位宣言で「国民の幸せと世界の平和を常に願い『国民に寄り添いながら』、『憲法にのっとり』、『日本国及び日本国民統合の象徴として』の務めを果たす」と誓われた。その陛下の立ち位置や視点からも、憲法との整合性が疑われない即位の在り様を「令和の時代」に定めることが望まれる。

 玉座の陛下に対し、庭から仰ぎ見て万歳三唱した昭和天皇即位礼からみれば、玉座を配した同じ「松の間」で総理が陛下を見上げ万歳三唱したところには距離の近さは見られるが、主権者である国民の代表として総理は寿詞を述べる。

 目線は同等であることが相応しい。陛下を仰ぎ見る形には権威付けや政治的利用の危険性さえ否定できない。朝日新聞は「天皇の権威を高めるために明治になって作られた形式にこだわった」と報じた。そうなのだろう。見直すべきところは見直すことが必要だ。

 政教分離の観点からは特に検証や議論が求められるのが11月14日~15日の「大嘗祭」。皇室の宗教儀式「大嘗祭」に政府は国事行為にこそしなかったが、これに要する費用(27億円)を公費(宮廷費)で賄う。

 秋篠宮殿下は昨年11月30日の記者会見で「大嘗祭は宗教色が強いため国費(公費)で賄うことが適当かどうか。平成の大嘗祭でも、そうすべきではない(公費ですべきではない)との立場だったが、若かったので多少意見を言った程度でした」と述べられ、政教分離の観点から「内廷会計(手元金)で行うべきと思っている」と述べられた。

 宮内庁長官がこれに聞く耳を持たなかった、とされたことは多くの国民は周知している。秋篠宮殿下は「身の丈に合った儀式にすることが本来の姿ではないか」とも提起された。国民に寄り添わなかったのは誰か。

 平成の大嘗祭を巡り起された裁判では大阪高裁が1995年に「平成の大嘗祭はすでに終了し、原告に不利益を与えない」としたが「憲法違反の疑いは一概に否定できない」と指摘した。

 代替わりの度にこうした議論が起こらないよう、国民主権、政教分離を徹底する「天皇代替わり儀式のあり様」を皇位継承議論と合わせて早期に進めて頂くことを期待する。(編集担当:森高龍二)