「国民の間でも時代に即した憲法改正を希求する機運が高まっている」と自民党が3日、党声明を出した。
「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の3大原則を堅持したうえで、どのように改正するかという段階に入ってきたと考える」とアピールする。
「改正の機運が国民の間に高まっている」という認識は正しい認識なのか。機運が高まっているというなら、改正手続きのハードルを下げる必要があるのか。一般の法律制定や法の改正レベルに引き下げる手続き(憲法96条の改正)に躍起になる改憲勢力の狙いの向こう側が見えにくい。
立党以来、自主憲法制定を「党是」とする自民党は安倍内閣下で、一挙に憲法改正に弾みをつけ、本丸(天皇の元首化、自衛隊の国防軍への改組、憲法9条の改正など)を手に入れるため、堀(憲法改正手続き)を浅くすることに改憲勢力の結集をめざす。夏の参議院選挙で改憲論議を選挙の争点にしていきたいとする。
争点とすることに反対するものはいないだろう。ただ、96条の改正の是非を争点にすることはもちろん、各政党はそれぞれの立場をより鮮明に具体的に示すことが必要だ。改憲をなぜ、何のために、どのように図る考えか、また、逆に護憲の立場や加憲の立場なら、その理由は何なのか。改憲する場合、国民が真剣に判断できるよう、どのように改憲するのか、平易に、ごまかしのない文言(時の政権が都合のよいように、いかようにも解釈できるような文言でない規定。誰が解釈しても一通りの解釈しかできない文言)で、表現していく責任が改憲を提起する側にはあると認識しなければならない。
自民党が昨年4月に発表した憲法改正草案では前文を全て書き換えた。また「国旗・国歌の規定、天皇を元首に、天皇の交代に伴う元号の規定新設、自衛権の明記と国防軍の保持、選挙権では地方選挙を含め国籍要件を規定、憲法改正の発議要件を衆参それぞれ過半数に緩和、憲法が国の最高法規であること」などを規定している。
自民党の憲法草案の中では、9条(戦争の放棄)が取り上げられることが多いが、天皇に関する規定や国民の権利・義務についても現行憲法と自民党の憲法草案では立ち位置に大きな違いがあると感じている。
天皇については「まさに、国民の象徴としての存在であって、それ以上でも、それ以下でもない」。にもかかわらず、元首にしようと自民党は位置付ける。天皇は外交儀礼で元首として扱われるが、これは「国民の象徴」としての存在であるからで、「国の第一人者」ではない。
学説も分かれるが実質の元首は「内閣総理大臣」なのだろう。自民党は「わが国において天皇が元首であることは紛れもない事実ですが」と明確な根拠を示さないで元首だと言い切る。天皇を元首とした規定は明治憲法であり、現行憲法では「国民の象徴」以外の規定はない。それが全てである。天皇には形式的・儀礼的行為のみが任されている。それは国民の象徴としての位置づけからであることはいうまでもない。
また、安倍総理は天皇崇敬者でも知られるが、国歌を「君が代」にすることには今も抵抗感を有する人は少なくない。君が代が天皇賛美歌として用いられたとう指摘もある。国旗を「日章旗」に、国歌を「君が代」にする法律を制定する際にも、君が代については賛否両論があり、菅直人元総理らは国歌・国旗は別々に審議すべきだとしたが、一括で決められた経緯がある。ことさらに憲法で規定する必要がどこにあるのか。君が代斉唱の際に起立しない教職員を懲罰対象にする根拠にはなろうが。
加えて、元号(一世一元の制度)を憲法に規定する必要性も天皇を「元首」と位置づけ、天皇制を教育に反映させたい自民党の色彩が伺える。元号を日本文化の一つとすれば、年表表記は「元号」で必ず表記することが日本文化を重んじることとされかねない。穿った見方だが、あり得ないことでもない。天皇をことさら政治に利用される危険から遠ざけることは「国民の象徴」であり続けるうえで至極大事なことなのである。自民党の憲法改正草案が現行憲法では天皇にも当然定められている憲法尊重擁護義務がなぜか天皇について削除している。その説明はない。
自民党の憲法改正草案は自民党のホームページで紹介され、QアンドAでも基本的な疑問に回答している。じっくり自民党の憲法改正草案を熟読されることをおすすめしたい。
わたしは現行憲法の97条(最高法規)の条文「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」との条項を自民党が憲法改正草案で削除していることに疑問を感じているひとりでもある。
憲法改正に衆参両院議員の3分の2の賛成を要するとする96条の規定を2分の1に下げる安易なものにしてよいのかどうか、第一の関門を緩やかにしてよいのか、自民党のいう「憲法改正を希求する国民の機運が高まっている」なら、国民の声を代表する国会においても、3分の2の賛成が得られてしかるべきではないのか。最高法規の内容を変えるとは、そこまで国民が改正の必要を認識している状況が生まれているということであり、その背景があって行われるべきものであると考える。(編集担当:森高龍二)