■第2期(5月23日後場~11月8日)需給悪化、突然の乱高下、そして薄商い
激動の昭和史が昭和20年8月15日正午で戦前と戦後に鋭く二分されるように、2013年の株式市場は5月23日正午で鋭く二分される。その日の後場の大暴落の影響がその後も約半年間、市場を蝕み続けたからである。
「不良債権」と化した信用買い残の多くは、株価が戻らず損失を取り戻せないまま11月23日の期限まで残った。積み上がった裁定買い残は、為替を巻き込んだ裁定解消売りという形で日経平均を何の前触れもなく突然、急落させる。それも決まって高値圏でハシゴを外すような狙い撃ちだった。
アベノミクス相場の上昇局面で戻ってきた個人投資家は、暴落で損失を被って去り、連日の突然の乱高下を見て「何が起きるかわからない」と去り、株価の低迷が続いて「うま味がない」と去っていった。商いは猛暑の「夏枯れ」も手伝って売買代金1兆円台の薄商いが続き、日経平均の値動きは機関投資家の先物・オプションの売買に支配されていた。
6月5日に100円を割り込んだドル円相場は6月13、14日には93円台まで円高が進行し、7月と9月のそれぞれ数日間以外は3ケタに戻ることはなく、「円安修正」と呼ばれた為替の動きも株価を冷やした。
5月23日以後の日経平均のチャートは、上下のうねりを繰り返しながら変動幅が次第に小さくなっていく「三角もちあい」のパターンを描いた。最初の谷は6月13日の安値12415円で、5月23日の前場から3527円も下落。そこから7月19日の高値の14953円まで2538円上昇し、第2の谷の8月28日の安値13188円まで1765円下落、9月27日の高値14817円まで1629円上昇、第3の谷の10月8日の安値13748円まで1069円下落というように、振幅がだんだん小さくなる。そして第4の谷となった11月8日の安値14026円をもって、三角もちあいの第2期は終わることになる。その間、7月19日と9月27日には15000円の手前まで上昇しながら押し戻され、ドル円の100円とともに「ガラスの天井」を形成した。
その間も、株価上昇の材料になりそうなイベントがないことはなかった。
6月5日には安倍首相が「成長戦略第3弾」を発表したが、市場は「新鮮味がない」「期待外れだ」と518円大幅安の強烈なパンチを浴びせ、翌6日の日経平均は13000円を下回り「甘利割れ」した。
6月22日には「富士山」が世界遺産に選ばれたが、24日は主役級の富士急<9010>が高く始まりながら利益確定売りに押されて129円安で値下がり率1位という予想外の展開。日経平均も中国市場の乱調に影響され3ケタ安だった。
7月16日に東証と大証の現物株市場が統合して大証銘柄が引っ越してきたが、目新しさで買われたのはほんの半月ほど。日経平均への影響は小さかった。
7月21日投開票の参議院議員通常選挙では総選挙に続いて自民党が圧勝し、「衆参ねじれ」が解消して安倍内閣の政権運営が楽になった。アベノミクスの推進にはプラスのはずだが22日から続伸し188円高になっただけで、その後は4続落で1000円を超える下落を喫した。
9月8日の日曜日の早朝に「東京オリンピック開催決定」の吉報がもたらされ、翌9日の日経平均は344円高だったが、実際に買いを集めたのは建設、不動産の銘柄や会場近くに不動産を所有する倉庫業など不動産含み益銘柄が中心で、平均株価を押し上げる力はもうひとつ。オリンピック決定以降に上昇した分は、10月1日に政府が2014年4月の消費増税を正式決定すると、その後の下落局面で全て帳消しになってしまった。
外部要因も、NY市場がFRBの量的緩和縮小が開始するか、しないかをめぐりギクシャクし、中国市場が何度ももたつき、10月には政争のあおりでアメリカの連邦政府機関が16日間も閉鎖されるなど、株価の足を引っ張ることばかり。ノーベル賞も日本人の受賞者はいなかった。