スコットランドでウイスキーづくりを学んだ竹鶴政孝は1934年、今から80年前の夏7月、北海道余市に蒸溜所を建設した。ウイスキーづくりに欠かせない、澄んだ空気と清冽な水、適度な湿度がある冷涼な大地。スコットランドを彷彿とさせる余市は、政孝の夢を託すにふさわしい場所だった。
敷地は沼に続いており、沼は余市川につながっていて沼からは冷気が立ちのぼっていた。雑草に覆われた荒地に最初に建てられたのは16坪の木造の事務所。設立当初の社名は「大日本果汁株式会社」だ。ウイスキーが樽で熟成を終えるまで、リンゴジュースを売って会社を支えようと考えたからである。
同じ年の年末、ようやく一基の小さなポットスチルが運び込まれ、ウイスキーの蒸溜が開始された。スチルマンは砕いた石炭を炉にくべ、製樽所では職人たちの手によって熟成に用いる樽がつくられた。蒸溜で得られた無色透明な原酒(ニューポット)が樽に詰められ貯蔵庫へ運ばれていく。
歳月と共に透明だった原酒は樽で眠る間に琥珀色になり、荒々しかった香味は豊かな香りと深い味わいを持つウイスキーへと変化する。マスターブレンダーでもある政孝は貯蔵庫で眠るウイスキーの熟成を見守り続け、1940年に第1号ウイスキーが誕生する。商品名は「ニッカウヰスキー」。大日本果汁を略して「日果」、スコットランド留学から数えて22年目の秋、長年抱き続けた琥珀色の夢が叶った瞬間であった。
馬車で出荷されるウイスキーの積荷を、政孝と全従業員は並んで見送った1952年には社名も「ニッカウヰスキー」に変更。「ウイスキーの味を左右するのは、優れた自然と人の心がまえだ」と言い続けた政孝。琥珀色の夢は脈々と受け継がれたのである。
JP余市駅から100メートルほどの場所にある余市蒸溜所の石造りのアーチを抜けると赤い屋根のキルン棟が迎えてくれる。まっすぐ進んでいくとやがて左手に現れるのが蒸溜棟。余市蒸溜所では、創業以来の伝統製法である石炭直火焚き蒸溜が行われている。直火焚き蒸溜は温度調節が難しく、熟練の技が必要とされるが、摂氏800?1000度の高温加熱により芳ばしい香りと力強い味わいを持ったモルトウイスキーが生まれる。
蒸溜で得られたニューポットは樽に詰められ貯蔵庫へ運ばれる。白樺の木に囲まれるようにして立っている貯蔵庫は28棟。現在、一般に公開されている熟成貯蔵庫は、創業時に建てられた第1号貯蔵庫だ。床は土間のままで適度な湿度が保たれるよう設計されている。眠り続けるウイスキーたちの寝息と土の香り。政孝もその香りを嗅ぎ、さまざまな想いを巡らせたのだろう。
そして今年、ニッカウヰスキーのピュアモルト「竹鶴17年」が、英国「ウイスキーマガジン」が主催する「WWA(World Whisky Award)」のベスト・ブレンデッド・モルトウイスキーに選出された。
「ウイスキーマガジン」によるWWAは2000年から実施され、最初の2000年にベストウイスキーを受賞したのもニッカの「シングルカスク余市10年」だった。当時、日本は小泉純一郎首相の時代で、国会で「日本のウイスキーが世界一になった。日本の製品は世界で通用する」と沈滞していた日本経済を鼓舞した経緯がある。
今年、2014年はニッカウヰスキー創業80年の年でもあり、その創業者である竹鶴政孝・生誕120年でもある。現在、ニッカはアサヒビールの完全連結子会社で、アサヒビールでは「竹鶴」ブランドを冠したイベントを全国各地で展開する予定だ。
手始めに、「竹鶴」ブランドのオフィシャルBARを東京・六本木ヒルズに4月29日から5月18日の期間限定で開設する。そこでは、竹鶴政孝がスコットランドで学んだウイスキーづくりのミュージアムとしても魅力ある展示を行なうという。(編集担当:吉田恒)