先月、経済協力開発機構(OECD)が世界各国の15歳児を対象に実施している学習到達度調査(PISA)のあり方について、アメリカを中心とした欧米諸国の教育学者らが署名した批判文書がインターネット上に公開された。同文書はさらに多くの賛同を募っており、世界中から賛同者の署名が集まっているという。
2000年より始まったPISAは「知識を日常生活に応用して考える力を測る」ことを目的として、15歳児を対象に主に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野について3年ごとに行われている調査である。
ニューヨークの大学教員と中学校長が発起人となって公開された同文書ではこのPISAについて「計測できる狭い面だけを強調して、道徳的、市民的、芸術的発達は測定していない」と批判をしている。実際にそのような側面はあるにせよ、PISAへの批判には、少なからずアジアの国々が順位を上げるのとは反対に次々とアメリカを中心とした欧米諸国が順位を落としていることへのもどかしさも含まれているだろう。たとえば、00年の初回の調査では全ての項目で15位前後だったアメリカは徐々に順位を落とし、最新の12年の結果では30位前後まで落ちてしまっている。反対に上位を占めているには日本をはじめとした東アジアの各国だ。
今回の文書のような「反PISA」の動きに日本は反論しなければならない。なぜなら、この議論は世界的「ゆとり教育」に進む危険性を孕んでいると言えるからだ。同文書では提言の1つ目に「順位表に代わるものを発展させる」というアイディアが挙げられ、その他にも「親やコミュニティリーダー、人文学の学者など、多くのグループによって議論を行う」「公教育の経済的側面を超えた機関を交えて基準等をつくる」といった項目がつづく。これらの意見は「絶対評価」や「生きる力」、「公教育の民営化」を標語にした日本のゆとり教育を彷彿とさせる。現在では、ゆとり教育は失敗であったとみなして見直しが進んでいる。この日本の「失敗」を生かさない手はないだろう。
日本が「失敗」から学力を向上させることができたのはPISAの低い順位を目の当たりにした「PISAショック」を乗り越えたからである。PISAには確かに問題があるかもしれないが、少なくとも日本はPISAによって失敗に気づき、課題を克服することができた。日本は世界に対しその経験を伝えていかなければならない。(編集担当:久保田雄城)